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婚約者からお願いします?

番外 決戦の日は間近

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「う〜ん……」


 困った。私はテニス関連商品の置かれた棚を見て、数度目のうなり声を上げていた。
 県境の大型スポーツ用品店までわざわざ足を運んだのはいい。それなりに商品も多く、選びがいもあるのだろう。だけど、それも私には何の意味もなかったようだ。


「……はぁ」

「くっ」


 諦めにも似た息を落とすと、背後で笑い声が響いた。慌てて振り返ると、不良と思しき人物がこちらを見て笑っていた。
 店内照明を反射して輝く銀髪が、やや目に痛い――って、あれ、この人どこかで?
 口元のほくろ。襟足を結んだ髪。それにこの制服は……だめだ思い出せない。
 思わず凝視して、脳内の記憶箱をひっくり返しながら首を傾げる。
 ひとしきり笑った不良さんは、「金を出せ」でも、「ちょっとついてこいや」でもなく、「お前さん、何探しとるんじゃ?」と訊いてきた。
 髪型と着崩された制服で勝手に判断してしまったけど、悪い人ではない……といいな。
 さて。質問にどう答えるべきか。
 別に正直に言っても、問題はないのだけれど、相手を困らせてしまうことは請け合いだ。


「えーと……お気になさらず」

「もう小一時間は唸っとったが?」


 何それ見られてたとか、ものすごく恥ずかしいんだけど。というより、小一時間も見てたの!?
 色々な感情が胸中に去来したけれど、その中でもう一つの可能性が脳裏をかすめた。
 もしかして買い物の邪魔をしていたのでは、というものだ。


「もしかして邪魔でしたか? 」

「見とっただけやき心配しなさんな。……ほれ、言うてみんしゃい」


 不良さんは見た目に反して柔らかな口調で私を促した。


「その……プレゼントを、探してまして。テニスをしている方なので、こうして足を運んだんですが、私にはさっぱりで」


 不良さんは少し考える素振りを見せ、低く唸った。


「何を買うかは決めてないんか?」

「生憎」

「渡すんは中学生か?」


 きっと私の制服を見て判断したんだろう。
 どうしよう。もういいですとか言いにくい。私は仕方なく不良さんの質問に答えることにした。多少の情報が漏洩したって、景吾は無駄に知られているから今更だよね?


「はい、一応」


 中学生に見えないけど。


「相手の名前を聞いてもええか? 知っとる奴なら力になれるかもしれんダニ」


 ダニ? いや、今はいいのか。


「跡部景吾って知ってます?」

「……跡部」


 あれ? 明らかに不良さんの目つきが変わったような気がしないでもない。え、何。貴方そんなに景吾のこと嫌いなの? それともイケメン目当ての何ちゃららだと判断されたのだろうか。
 この際どっちでもいいけど、例えミーハーだったとして、この人には何の迷惑もかけてないと思うのに、その急変は納得できない。


「何か問題ありますか?」


 目線に対抗して声に険を含ませると、不良さんは一瞬で視線をの温度を元に戻した。表面上は。
 別にいいけどさ、嫌なら離れろよ。と愚痴りたくもなる。


「跡部の誕生日は十月じゃったと思うが」

「……ストーカー?」


 何故明らかに他校生なこの人が知っているのか。確かに景吾は美人だ。男でも好きになってしまう場合もあるのかもしれない。
 そう思うと、微笑ましいような、怖いような。


「違う! そしてあからさまに距離をとるんじゃなか! 単に試合相手のデータとして知っとるだけじゃ」


 どうやら自然と距離をとっていたらしい。
 小さく堰をして誤魔化し、ほんのわずかに距離を戻す。あくまでわずかに。
 それにしても対戦相手ってことは、この不良さんもテニスプレイヤーなのか。


「対戦相手の誕生日をどうデータとして活かすかはさておき、誕生日プレゼントではないですもん」

「なら何じゃ?」


 言う必要は微塵も感じない。けれど、言ったからといって特に問題もない。
 でもさ、ちょっと感じ悪いんだよね、この人。


「貴方に言う義理はないですし、さっきから感じ悪いから言いたくありません。そんなに嫌ならとっとと離れて下さい面倒くさい」


 時間がないのだから、邪魔をするなら遠慮する。そう言ってその場を離れようとしたら、不良さんに腕を掴まれて足止めを喰らった。
 だから何の用だっての!
 ギロッと睨みあげれば、不良さんは私の視線を受け止めるや、苦笑を浮かべた。


「すまんかった」


 きっと最初に声をかけてきたのは、ただの親切だったのだろう。景吾の名前が出て警戒したってとこか。……確かにこの人も美形だもんね。
 私はとりあえず謝罪を受け取ることにした。


「……いいです。安心させる意味で言うなら、別に貴方はタイプではないですし、貴方の学校の仲間のことはどなたも存じませんので……たぶん」

「たぶんなんか?」

「いやだって、貴方の学校がどこか制服だけじゃちょっと……」


 判断がつかないのだから仕方がない。


「立海大附属中ナリ」

「……あ、五感奪う人――もとい、幸村くんが居るところかぁ。いいな〜一回あの五感奪われるやつ体験してみたい」


 独り言ゆえ、敬語はポロリと抜け落ちたが、発言内容の方に気をとられたのか、不良さんは何も言わなかった。
 それにしても、何か可笑しなものを見る目で見下ろしてくるのはやめていただきたい。


「ごほん。まぁ、幸村くんは知ってましたけど、特にタイプではないのでご安心を」

「……そうか。で、何のプレゼントか訊いてもええか?」


 何とか気を取り直したらしい不良さんは、私の発言には触れずに、話を戻すことを選んだようだ。


「あー、その、ホワイトデーの……お返し」


 キョトンとした表情を浮かべる不良さんに、少々居心地が悪くなる。
 わかってますよ、普通逆ですもんね? でも、逆チョコって言葉があるくらいなんだから、別におかしくないと思うの。現に今回もそんな感じなんだから。


「何か問題あります?」

「……いや、お前さん……跡部からチョコ貰ったんか?」


 顔全体に「意外」と書かれている。ちょっと失礼だ。


「花束を。それが何か?」

「あー……その、すまん」


 ムッとして返すと、こちらの感情が伝わったのか、素直に頭を下げられた。
 それもそれで傷つくわ。まぁいい。


「アイツの愛用はHEADじゃったな……。そうじゃ、こっちに来んしゃい」


 腕を掴まれて引きずられて行く。傍から見たら手を繋いでいるようにも見えるかもしれない。掴まれた手首を何となしに見下ろしていると、こちらに向けられている視線を感じた。
 気になって顔を上げて振り返ると、なんと驚いたことに景吾の姿があった。アイスブルーの瞳と視線が重なる。思わず足を止めると、不良さんの足も止まった。


「どうしたんじゃ?」


 訝しげに訊いてくる声に視線を向けた次の瞬間、景吾は踵を返して歩き出していた。
 え、これ、完全に勘違いされたよね?


「すみません」


 不良さんに告げて、景吾の後を追って走り出す。いくらコンパスの長さが違うと言っても、走っている私の方が多少は速い。どうにか追いついた彼の腕を掴み、足を止めさせる。


「ちょっと待って。今、絶対勘違いしたでしょ?」

「勘違いだと?」

「そうだよ」


 振り返ってこちらを見下ろす景吾の表情は険しい。氷のように冷たい瞳に、凍えてしまいそうになる声。怒鳴られてるわけでも、殴られているわけでもないのに、どうにも体に悪い。


「……じゃあ何でこんなとこに居る?」


 古武術以外、スポーツらしいスポーツもしていない私が、一人で此処にいることが腑に落ちないらしい。


「それは」

「それは?」


 素直にホワイトデーのお返しと言ってしまうのも、少しばかりナンセンスな気がする。プレゼントって、こう……サプライズ感も大事だし。私自身予期してなかったバレンタインの薔薇の花束には唖然とした反面嬉しかったのだ。
 けど他に都合のいい言い訳など、生憎持ち合わせてはいないのである。
 しかも、さっきの不良さんとデート……とか思われてるっぽいし。バリバリの初対面なんだけど、そんなに仲良く見えたのだろうか。あぁ、手か。繋いではいなかったけど、そう、見えてもおかしくはないもんね。


「言えねーのか? アーン?」


 降ってきた声に我に返る。ヤバい。完全に、してもないのに浮気がバレた彼氏みたいな状況になってる。


「だから、その……用事が」


 歯切れの悪い言葉に、景吾は呆れたようにため息をついて歩き出してしまった。


「待っ」

「待ちんしゃい」


 私の言葉を遮るように、不良さんが景吾を呼び止めた。
 いつの間にこっちに来たの!? そして何より、何で出てきちゃたの!?
 話がややこしくなるのは勘弁して欲しい。


「ちょっと不良さん!」

「不良さんて俺のことか?」

「……あ」


 いくら名前を知らないからといっても、流石にこの呼び方はまずいだろう。


「えーと、銀髪のお兄さん」

「今更言い直してもって感じじゃのう」


 ですよねー。
 へらっと笑って誤魔化していると、景吾が私たち二人の会話に何かを悟ったらしい。


「お前たち知り合いじゃねーのか?」


 おおっと、ごめん。景吾の存在忘れてた。
 そして何気に周囲からの視線が痛いような……。
 考えてみればこれって修羅場絵図だし、景吾も不良さんも中々の男前だ。しかも私は美少女ってわけじゃない。凄く「何であの子?」って視線を感じる気がするんだけど、被害妄想かな?
 って、他人がどう思ってるかなんてこの際どうでもいいよ。
 今は折良く得られた誤解を解くチャンスを活かすことに集中すべきだろう。


「知り合い以前に初対面だよ」

「そうじゃな。このお嬢さんがテニス用品睨みながら唸っとたけぇ、声かけただけナリ」

「あーあーあー!」


 余計なことを言わないようにと声を上げたら、二人からほぼ同時に視線で制された。これでは黙るほかないではないか。


「そうか。それじゃあ何故こんなところに居る?」


 ですよねー。
 やっぱりそうきたか。これが年貢の納め時か、と両手を挙げて渋々口を開いた。


「……ホワイトデー」


 その一言で十分意味は通じただろう。現に景吾の表情は緩んでいる。


「ったく、物なんざいらねーんだよ。……仁王、世話かけたな」


 あ、不良さんの名前仁王って言うのか、と思っていると手を引かれた。どうやら帰るらしい。買い物に来たんじゃなかったのかな? と疑問に思ったけれど、当然のように出口に向かって歩き出したから口を噤むことにした。
 さて、テニス用品はボツになったし、ホワイトデーのお返しは何にしようか。
 未だに諦めることができず、私は景吾の隣を歩きながら、次の計画を練り始めるのだった。





「せっかくじゃし、参謀にでも報告しとくかのう」
 呆れた様子で仁王が呟いたのを、二人は知らない。



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