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猛獣の飼い方10の基本
番外 三倍返しにご用心
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目の前で繰り広げられている奇異な光景に、唖然とする。
一体全体どうしてこうなったのか。
キッチンでお菓子作りをするフェイタン。異様だ。
作業に夢中なのか、不審な目を向ける私にも一切気が付いていないらしい。
本人に訊くのもはばかられて首を巡らせると、運がいいのか悪いのか、事情を知っていそうな人物を発見した。
瓦礫で形成された山の上で、優雅に本を捲る男。クロロ=ルシルフル。
クロロは私の視線に気付いたのか、読んでいた本から顔を上げて視線をこちらへ寄越した。流石に大きな声で話すような内容でもないと判断した私は、瓦礫をよじ登ってクロロの隣ににじり寄った。うん、ここからもキッチンは見えるみたい。
「……あれ、どうしたか知ってる?」
言わずもがな、キッチンに立つフェイタンのことである。
クロロは私の問いかけにパチリと瞬きして、言うなれば「何を言ってるんだコイツ」的な視線を向けてきた。え。お菓子作りしてるフェイタンって普通なの? 私が知らなかっただけってこと?
愛しのHUNTER×HUNTERにもそんな情報は微塵もなかったはずだ。ファンブックにも書いてなかったよね?
「お前が言ったんじゃないのか?」
これまた不思議な返答だ。
「え〜と、何をでしょう?」
「三倍返し」
心当たりは……ある。
バレンタインにチョコを渡す時にフェイタンに言った言葉だ。
きっとバレンタインなんて知らないだろうと思って冗談半分で言ったはずなのだけれど、クロロの言葉を信じるならばどうやら発端はそこにあるらしい。
「確かに言ったけど、それとこの状況と、どう関係があるの?」
そもそも手作りチョコだけだったから材料費を考えなければゼロジェニー。幾ら掛けてもゼロジェニーのはずだ。材料費を考えても大した金額にはならない上、お菓子作りとはどう考えても結びつかない。
ん? 手作り?
自分の渡したチョコを思い出して、何かが引っかかった気がした。
「どういうことか訊かれたからな、単純に量のことではなかったのか?」
相談を受けたクロロが量を三倍にして渡す案を出した、と。
ここに来て、フェイタンのみならず旅団全体が世間のイベントにうとい可能性に気付いたけど、今はスルーすべきだろう。いや、バレンタインとホワイトデーについて知っていただけでも十分か。
まぁいい。
本当はただの冗談である。が、今更そんなことを言ったら、それが後々フェイタンの耳に入れば、それこそフェイタンの機嫌を損ねかねない。
だからといって、別に量的三倍も金銭的三倍も求めてないわけで……。
だったら自分は何が三倍だと嬉しいのだろう?
「?」
クロロが不審げに私の顔を覗き込んでくる。
何か答えなければと焦った胸中に、天啓のようにある言葉が浮かんできた。
「……愛」
うん。きっとそれが三倍で返ってくるなら、とても素敵だと思う。
それこそ「三倍で返してね?」「わかった」でどうにかなるものでもないだろうけど。
私の呟きに、クロロが「ほう」と興味深そうにもらした次の瞬間。私の耳元でフェイタンの声が響いた。
「だたら話は簡単ね」
いつの間に移動してきたのだろう。驚いて声のした方へ首を巡らせると、エプロンをつけたままのフェイタンがそこに居た。お菓子を作っていただけあって、そこはかとなく甘い香りがする。
お腹すいたな、なんて暢気なことを考えていたのがいけなかったのだろうか。
気が付くと私の体は浮いていた。
フェイタンの顔が近い。どうやらフェイタンに横抱きにされているらしい。
「ちょ!?」
驚く私にお構いなしで、フェイタンはそのまま瓦礫から飛び降りた。未だ瓦礫に座するクロロに視線を向ければ、既に視線は本に戻されている。幾らなんでも関心が薄れるの早すぎじゃないだろうか。
そんなクロロの姿は、フェイタンが部屋を出て歩き始めると、あれよあれよと言う間に見えなくなってしまった。
別にいいけどね。
……それにしても、だ。
身長もあまり変わらないのに、いつもながらその力がどこから湧いているのか不思議で仕方がない。
重くないんだろうか?
「ねぇ、フェイタン。重いでしょ? 私自分で歩けるよ?」
「だまてるね」
どうやら降ろしてくれる気はないらしい。
まぁ、こんな機会はそうそうないし、おとなしくフェイタンの肩口に顔を埋めてこの状況を満喫することにする。これがいわゆるお姫様抱っこというやつかと思うと、少々照れくさいが、それ以上に嬉しかった。
行き先は訊くまでもない。フェイタンの足が向かっている先には、フェイタンが自室として使っている部屋しかないのだから。
案の定、フェイタンは私を抱えたまま器用に部屋に入った。
その直後。私の体はフェイタンの腕から放られていた。背中で感じる感触で、自分がベッドに寝かされているのだと容易に知れる。
「……フェイ、タン?」
体の両脇に置かれた腕。真上に見える端正な顔は、ニヤリと妖しい笑みを浮かべて私を見下ろしていた。エプロンというマイナスオプションがあって尚、その色香は褪せる気配を見せない。
これが惚れた弱みというやつだろうか。何だかずるい。
――じゃなくて、この状況ってもしかしなくても不味いんじゃ……。
「フェイタン、お菓子作ってくれてたんだよね?」
話を逸らそうとしても、フェイタンは応じてくれない。それどころか、私の首筋をツーっと舌でなぞり、愉しげに目を細めてみせた。ゾクリと肌が粟立つ。まるで捕食されているような気分だ。
まずい。逃げよう。
焦って身を捩った矢先に、右肩を上から押えられて動きを封じられた。
「三倍以上に可愛がてやるよ」
恥ずかしげもなく告げられた言葉に胸の鼓動が高鳴った。
どうやらこの勝負、私の負けらしい。
自分の敗北を悟った瞬間、私は抵抗を諦め、おとなしく目を閉じることにした。
三倍返しにご用心