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私は貴方のもの。貴方は私のもの。
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「お前も大概懲りない女ね。愛だの恋だの……そんな見えもしないもの、信じるのは馬鹿だけよ」
そう言って、口元まである髑髏柄の布の下で彼は哂った。
吐き出された言葉以上に、彼――フェイタンがバレンタインというものの存在を理解していたことに驚く。去年まで、渡しても何も言ってこなかったから、てっきり知らないのだろうと思っていた。或いは、興味がないのだろうと。
だからこそ完全に虚をつかれたと言ってもいい。
けれど同時に、これはチャンスなのだと気がつく。
これまで何も言わなかった彼が、はじめてバレンタインに、私の気持ちに触れたのだから。
私は全力で思考を巡らせる。
フェイタンは目に見えないから信じられないと言った。ならば、目に見えない感情を、目に見える形にしてしまえばいいのだ。
「だったら――」
****
ピピピ。ピピピ。ピピピ。ピピピ。
薄い眠りの膜を破って、耳障りな電子音が意識に滑り込んできた。聞き覚えなら嫌というほどにある。これは初期設定から弄っていない、私の携帯の着信音だ。
腕だけを伸ばして音のする方向を探る。が、私が掴む前に音は遠ざかっていった。切れたのではなく、遠ざかった。流石におかしいと思って、重たい瞼を無理矢理押し上げた瞬間、電子音はピタリと止んでしまった。
なんだ、無駄骨か。
自分を呼ぶ音が失せ、睡魔に任せて再び瞼を下ろしかけた私の耳に、予想外の音が紛れ込んだ。
「お前誰ね」
そうだ。隣でフェイが寝てるんだった。
既に半月はこうして一緒に眠っているのに、未だに慣れることができないのよね……って、そうじゃない。問題はフェイが誰と話しているのか、ということだ。部屋には自分を含めても二人分の気配しかない。
そうなると必然的に、切れた電子音が気にかかる。
「そちの事情なんて知らないね」
慌てて顔を上げると、私の携帯を耳にあて、億劫そうに話しているフェイの姿があった。そう、驚くべきことに、私の携帯を耳にあてているのである。
「ちょっとフェイ!? 何で勝手に出るの!?」
半ば引ったくるようにして携帯を取り返すと、急いで電話の相手を確かめにかかった。
「もしもし!?」
「、今の何なの?」
どうやら相手は上得意のクライアントのようだ。暗殺一家として名を馳せる、ゾルディック家の長男である。
確かホワイトデーのお返しに毒薬を贈るからと、依頼を受けたのは先月の末だったか。
薬師である自分に毒薬を求めるのは、何も彼だけではない。薬と毒は表裏一体。誰が言ったかは知らないが、それがいかに的を射ているかということを如実に表している。
たまにはまともな薬の依頼を受けたいものだ。
「今のは気にしないでいいから。それよりも依頼の件でしょう? ホワイトデーには間に合うよう――!?」
言葉の途中で携帯が消えた。正確には、フェイに取り上げられてしまったと言うべきなのだろう。返してと訴える間もなく、フェイは通話を終了させ、携帯の電源を落としてしまった。
下手をすれば依頼料が水の泡である。それ以上に回してはいけない人物を敵に回しかけていると言ってもいい。
それなりの戦闘能力はあるが、暗殺一家の長男に勝るかどうかと聞かれれば、間違いなく否なのだから。
「フェ――」
文句の一つや二つ、言ってやらねば気がすまない。そんな気持ちとは裏腹に、私の唇は柔らかな感触に動きを止められ、抗議の言葉は息ごと吸い込まれてしまった。
「はワタシのもの。そういう契約の筈ね」
フェイはあくまで自分の行動は正当なものだと主張する。
確かに私はあの日、あのバレンタインの日に、フェイと契約を結んだ。専属契約。愛だの恋だのという見えない気持ちを、フェイの専属になるという契約書を渡すことで、どうにか見える形にした結果だ。
それは男女間の関係においての専属という意味で、それ以上でも以下でもないつもりだった。その筈なのに、こうしてフェイが私の依頼を邪魔をするのは、実のところ今日が初めてではない。
「確かに契約はしたけど、仕事とは関係ないでしょう?」
流石に生活が立ち行かなくのは勘弁願いたいのだ。
「プライベートと仕事の携帯を分けないが悪いね」
なるほど一理ある。
「わかったわよ。ごめん。……でも」
「言いたいことがあるならハキリ言え」
言えない。こんな契約しなければ良かっただなんて。
フェイと付き合うことが出来て嬉しい。フェイのものになれるのは幸せ。そこに後悔なんて微塵もない。
だけど、この契約には大きな欠点がある。
フェイに私の行動を抑制する権利はある一方で、私にフェイの行動を抑制する権利はないのだ。
もしもフェイが他の女と逢瀬を重ねようと、私に口出しをする権利はない。それが酷くもどかしく感じた。今のフェイのように私が彼の邪魔をすれば、容赦なく捨てられるだろう。その想いの差が、何より寂しい。
「何でも」
「契約書に嘘はつかないて書いてあたね」
見逃す気はないらしい。
ベッドに横になり、見つめ合う。状況だけを考えればムードのある緊張感なのだろうけれど、今の私たち二人を包む緊張は、甘い気配を一切含んでいなかった。
殺気こそないが、空気がひりついている。
「……ずるい」
私の言葉に、フェイの柳眉がピクリと跳ねた。
「フェイは契約なんてなくても私を縛れるのに、私が貴方を縛る術は何もないんだもの……なんてね。言ってみただけよ、まだ朝も早いし寝なおしましょう?」
この契約のあり方も、想いの差も、どちらも苦いものがあったけれど、それでも面倒な女だと思われて嫌われてしまうよりはマシなような気がして、私は笑顔で誤魔化した。
表情を隠すように寝返りをうって背を向ける。その直後、背後でフェイが溜息をもらした音が聞こえた。
「」
呼び声に視線だけで振り返ると、顔に一枚の紙が押し当てられた。
「……っ、何?」
のろのろと紙を掴み、文字が読める程度まで顔から離す。私は飛び込んできた文字に目を瞬いた。
「これ……」
文頭には「契約書」と書かれている。
ハッとして体ごとフェイの方へと向き直った。あまりに勢い込んだせいか、スプリングが無駄にきしんだ。
「ホワイトデーとやらに渡すつもりだたね。契約は相互利益が基本、偏た契約は破綻するのが関の山よ」
しれっと口にするフェイには、照れた素振りも甘い雰囲気もなかったけれど、私は泣きたくなるほど嬉しかった。
きっといつの日か、想いの差が埋まる日も来るのだろう。そう思えて。
泣き笑いを浮かべる私の唇に、フェイの唇が静かに重なった。
私は貴方のもの。貴方は私のもの。
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▼ 怜悧 様
この度はリクエストして頂き、誠にありがとうございました。
色々と書き込むことの多い注文書で、お時間を取らせてしまったわりに……活かせてない、だと!? な出来ですが、ど、ど、ど、どうでしたでしょう?(汗)
少しでも楽しんで頂ければ幸いです。