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「あいうえお」作文製作中
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放課後の教室が穴場だと知る人間は意外と少ない。
私は今日も誰も居なくなった教室の窓からテニスコートを静かに見下ろしていた。
2年の3学期。
我が氷帝学園のテニスコートから3年生の姿は消え、2年生を中心とした面々が大活躍・・・・・・と思いきやそんなこともなく、未だ3年生は後輩指導の名の下にテニスコートに日参していた。
本来受験を控える身である3年生だが、氷帝学園は私立中学のご多分に漏れず、しっかりエスカレータ式なので受験勉強の必要がない。
たぶんそれが今もなお3年生がテニスコートに現れる最も大きな要因であろう。
高等部でもテニスを続ける気のある部員達は現役の頃と変わらぬ熱心さで練習に励んでいた。
それでも一応部長の引き継ぎは行われており、練習も2年生と1年生が優先的にコートを使用している。
放課後を迎え、各々が部活動やら帰宅やらで席を離れていく中、私は一人帰り支度もせずに自身の席に悠々と腰掛けてその様子を他人事のように視界に収めていた。
最後の一人が教室を後にしたところで、机の中から一枚のプリントを取り出し、視線を左側に移す。
左、それは窓際に座る私からすると丁度テニスコートが見える方向。
席順としても一番後ろという好立地なこの席からはそれはそれは良くテニスコートが見えるのだ。
勿論それは私の両目共に2.5という素晴らしき視力による所も大きいと自覚しているため万人にお勧めできる穴場ではないが、テニスコートの周りを埋め尽くす女子の群れに居るよりも余程良いのではないかと私は思っている。
とは言え、私自身は本来テニスにもテニス部員にもそもそも何の興味もないので、普段ならとっとと帰宅の途に着いているところだ。
その私がわざわざ放課後残っているのはこのプリントのせいだったりする。
3日前の国語の時間に配られたプリントの一番上には『あいうえお作文』と、別にそこまで主張するもんでもないだろうという程大きなフォントでデカデカと書かれており、説明事項に『隣席の人の名前を使ってその人について語りましょう』という限られた文字でやらせるなと文句を言いたくなる文章が並んでいる。
つまりどういうことかと簡単に言えば、私の隣席の人物がテニス部所属で、彼のことなんて良く知らないから観察してみようということなのだ。
先に言っておくが私は別に真面目な人間って訳ではない、単に国語の成績が怪しいが故の行動である。
さて、今日こそ何か掴めればいいのだけれど。
そう思いながら眺めた3日目の窓の外では、旧レギュラー対(恐らく)新レギュラーの試合が始まったようだ。
私はファンの子程熱心ではないけれど無関心ではないという程度の微妙な熱で以て隣席の人物の試合に視線を注ぐ。
隣席の人物の名は日吉若。
言わずと知れた新部長様である。
****
毎年のことだが3年の引退は名ばかりで、あの人達は当然の顔をしてテニスコートに現れる。
何だかんだで後輩指導もしっかりやってくれる為助かると言えばその通りだが、あの人達の居る前で部長面するのは正直言ってやり難さ満点だ。
今日は跡部元部長の提案で新レギュラーと旧レギュラーで試合をすることになった。
俺や鳳、樺地は新メンバーにも属している為人数に偏りが出るが、その分は先輩達の何人かが2試合してくれるらしい。
俺の相手は跡部元部長。
「日吉、ガッカリさせるなよ?」
コートに入ると開口一番にこれだ。
言われるまでもないとラケットを握りなおし、急く気持ちを抑えながら構えた。
結果は6−3で俺の負け。
引退してからも練習に励む先輩たちと俺達との差は相変わらず縮まない。
それどころか開いた気すらする。
自分が進んだ分相手も進んでいるのだということを失念していたわけではない。
しかし、何だかんだで部長と呼ばれるようになり、少しばかり自惚れていたのだろうか。
ほんの少しでも追いついたような気になっていた試合前の俺が酷く無様に感じた。
そしてそれはきっと俺だけではない。
新レギュラーの殆どが俺と同様旧レギュラーから勝利をもぎ取ることは叶わなかったようだ。
レギュラーになって浮かれていた連中も多かったのだろう、そう考えれば跡部先輩が俺達新レギュラーと試合したのは俺達のため以外の何物でもないのだ。
己の慢心を見抜かれたような情けなさを抱きながらも、引退してなお俺達のために動いてくれた先輩達に素直に頭の下がる思いがした。
試合終了後は残った時間でクールダウンを行い、今日の活動を終わらせた。
部誌の記入を終える頃には皆帰宅しており、ようやく誰も居なくなったことを確認して、俺は着替えずにラケットとボールを引っ掴んで部室を出た。
行き先は体育館裏。
室内競技の部活動も既に活動時間を終えたのか体育館からは何の音もしない。
俺は壁の一点を狙って壁打ちを始めた。
今日のような自分の慢心に浸らないため、初心に帰るため、そして下克上するために!!
悔しさをぶつけるように俺は無心でボールを追いかけた。
****
「あ〜、負けちゃった」
『ウォンバイ跡部。ゲームカウント6−3』というコールを聞いて一気に肩から力が抜けた。
ここ数日見ているうちに私は知らず日吉に肩入れしていたらしい。
応援するつもりなんて無かったんだけど、なんて誰も見ていないのに言い訳しようとして苦笑した。
テニスをしている日吉を見るようになって最初に思ったことは『教室に居るときとは随分違う』ということだった。
何せ教室ではクラスの男子と騒ぐわけでもなく、どちらかと言えば大人しい…というかクールな部類に分けられるだろう彼である。
昨今良くある『真面目にやるのはカッコ悪い』という考えを持ってそうだなんて考えていたほどだ。
あんなに必死にボールを追いかける姿など実際に目にするまで考えられなかった。
そのせいか最初に目にした時は妙に感動してしまったというのは此処だけの話。
そして本人には言わないけれど『勝手な想像しててごめんなさい』と心中で謝り倒したのもまた然りである。
眼下では練習も終了しらのかボールやらネットやらを手際よく片付けていく部員の姿。
私は結局何一つ進まなかったプリントを睨みつけて息を零した。
「帰りますか…」
誰にとも無く呟く声が空っぽの教室の中で虚しく滲んで、誰に聞かれたわけでもないのにちょっとだけ恥ずかしくなった。
帰り支度を終えてから再び窓の外を見下ろすと、既に部員達が三三五五に家路を辿り始めている。
凄い早さだと半ば感心しつつ開け放っていた窓を閉めて教室を後にした。
「あれ?」
校門を出て数メートル。
まだまだ駅までの道のりは遠いその場所で私は不意に立ち止まった。
原因は分っている、手荷物の少なさだ。
今日は金曜日。
2限目には体育があり、サッカーをやらされた。
あまり運動の得意ではない私は必死でボールを追いかけたが健闘むなしくすっ転んで・・・・・・。
そう、体操服の入っている袋が無いのだ。
転んで泥まみれになったあの服が!
そして月曜にも残念ながら体育がある。
「・・・取りに行かなきゃ」
くるりと踵を返して足早に教室に戻ると、体操服の入った袋は私の机の横に暢気にぶら下がって私の到着を待っていた。
袋を掴んでもう一度忘れ物を確認し、薄暗くなった校舎の中を駆け抜ける。
靴を履き替えていざ校門!
そう思って一歩踏み出したが、私の足は当初の目的地とはおおよそ別の方向へ向いていた。
だって確かに聞こえたのだ。
もう誰も居ないはずの方角から、ボールを打つ微かなインパクト音が。
一歩、一歩と歩を進めるたびに大きくなる音に少しだけ慄きながらも、私の足は何かに引かれるように音に吸い寄せられていく。
ジャリッ、と地味に響く足音をなるべく立てないように慎重に音源への距離を詰める。
気づいてみると何時の間にか体育館まで来ていたらしい。
どうやら音源は体育館の裏のようだ。
恐る恐る覗き込むとそこには私が放課後視線で追い続けた彼の姿があった。
「日吉・・・」
「ッ、誰だ!?」
「やばっ!」
呟いた声は想像より遥かに大きく空気を震わせ、相手にまで届いてしまったらしい。
見てはいけないものを見てしまった気分に陥った私は一目散に走り去った。
試合の後私は頭の隅っこでこう考えていたのだ。
――――相手はあの跡部先輩だし、
と。
でも日吉は違う。
当然の結果として甘受するわけではなく悔しさを抱え、結果を覆えさんとしている。
意外とどころか触れると火傷しそうな熱。
それが私の目に映った日吉若の姿だった。
****
週明けの月曜日。
今日も私は放課後の教室からテニスコートを眺めていた。
探さずとも視界に飛び込んでくる日吉の姿と、白紙のままの課題プリントと、そしてそのプリントの横に置かれた下書き用のルーズリーフとを順繰りに見て唸る。
下書き用のルーズリーフには金曜の帰宅後に私の書いた文字が途中までだが躍っていて、そのままそれをプリントに書けば良いだろうに、何故か出来ないままでいた。
続きが思いつかないから、なんて理由もあるけれどそれ以上に書いて良いのかな?って気持ちの方が大きい。
私が書いたのは
ひ 火がついた闘志は
よ 容易に消せぬ
し 灼熱の如く
文才が無いのは国語の苦手な私だから仕方ないにしても金曜の部活後の日吉を見て考えた文章。
これだけでそれだとわかる人なんて居ないとは思う。
思うんだけど、勝手に人が隠れて努力してる姿を公開するのも……そう思うとどうも気が進まない。
「やっぱやめた!!」
書いた文字の上からグチャグチャと線をして机に突っ伏す。
「あ〜あ、どうすんのさこの課題」
課題の提出期限はもう目前だ。
考えるのも憂鬱でそのまま目を閉じてしまうと、テニスコートから聞こえてくるインパクト音が妙に眠気を誘う。
そういえば昨日あんま寝てなかったなと小さく欠伸を漏らしたのを皮切りに瞼が落ちていくのを止めることができなかった。
****
今日の部誌を書き付け終わった頃には既に部室はいつものことながら蛻の殻。
俺も帰るかと腰を上げたところで先週出された課題を思い出した。
確か隣の席の奴をあいうえお作文で表せとかいう傍迷惑な課題。
提出期限は明日じゃなかったか?
プリントを教室のロッカーに放置したままだと気づいた俺は部室棟を後にすると校門ではなく教室へと足を向けた。
廊下を歩く足音は俺のもののみのはずなのに、静まり返った校舎に響く足音は幾重にも重なって聞こえる。
廊下はともかく各教室は既に電気も消されていたから教室に入って驚いた。
「?」
見れば隣席のが背を丸めて机に伏していた。
窓は開いたままで、風に飛ばされたのかプリントとルーズリーフが床に散らばっている。
教室に足を踏み入れ、何の気なしにそれらを拾い上げると一方は自分の取りに来たのと同じプリント。
もう一方は…下書きか?
だが下書きと思われる文章は気に入らなかったのか途中まで書かれた作文は上から線で覆われている。
「んっ・・・」
それを覗き込んだところで開いたままの窓から一層強い風が吹き込み、横から声が聞こえた。
声の主、は今の風で起こされたのか小さく呻きながらのそのそと顔を上げ、俺を視界に入れて目を瞬いた。
「ひ・・・よし?」
まだ寝ぼけているのか状況を把握しきれずポカンとしている姿は本人には言えないがかなりマヌケだと思う。
「あ、それ・・・」
の視線の先は俺が拾った2枚の紙。
まさか本人に見られるとは思ってなかったのか顔色を赤くさせたり青くさせたりと忙しそうだ。
「これ、何で消したんだ?」
「え?!あ―・・・見たんだ?」
「あぁ」
といえば以前
『あれは応援という名の自己満足よね』
とコートを囲む女共を見て呟き、
『はテニス部で誰が好き?』
と訊かれ
『は?テニス部??・・・・・・・・後藤?』
レギュラーどころか準レギュですらない普通の男友達の名を挙げ、
『日吉君新部長決定だって!競争率激しくなりそうだよね〜』
と誰かが言ったときには
『・・・何で?』
と首を傾げていた。
テニス部というブランドに魅力を感じない人物ということもあり、席替えで隣がになったと知ったときは内心ホッとしたのも記憶に新しい。
ただそれだけに、この内容は気になった。
何故なら教室に居るときの俺は一人で静かに本を読むような『静』の行動しかしていないにも関わらず、この文章では明らかに『動』がイメージされていたから。
その上何故か消されているのだから尚のこと。
****
え〜っと、何?この展開。
まずは起きたら想像以上に時間経過していたことに驚き、次に教室に日吉が居たことに驚き、仕舞いにゃ日吉のことを書いた「あいうえお」作文の下書きを本人に読まれた。
どっからつっこもうか判断に迷う程あり得ない連続だよ。
しかも何か驚いてるみたい。
で、あろうことか
「これ、何で消したんだ?」
・・・これである。
課題は直接教員に提出予定だったから本人に見られるなんて誤算もいいところな上、わざわざ無かったことにしようとしてたとこで消した理由まで尋ねられるなんてどんな罰ゲームですか。
理由を話すってことは即ち私があの場に居て、しかも逃げちゃったことまで話さなきゃならないわけで全く以て気が進むはずも無いのだ。
それでもあんまり真っ直ぐ私を見て訊くもんだから仕方なく課題を貰ってからのことを話した。
毎日放課後になるとこの教室からテニスコートを見ていたこと
金曜の放課後意図せず見てしまった光景
意識が沈む前に考えていたこと
「・・・・・・ってわけ。部活の時の日吉も十分教室に居るときと全然違って熱かったけど、私がそれをインスピレーションされたのはあくまで金曜のあの時見た日吉だから。日吉が隠してたかはわかんないけど、少なくとも影で努力してる姿を無断でホイホイ晒すのはどうかなと思って、ね」
眠る前にも思ったけど文章だけでそこまで想像する人間なんてきっといないのだ。
そうとわかっていても躊躇うのはおかしいだろうか?
きっと馬鹿だと思われるんだろうな・・・
そう、思っていた。
しかしながら、話し終わったあと日吉が示した反応は「そうか」と一言口にして小さく笑みを浮かべるという予想外の反応。
でもその表情を見て私は思った。
私の選択は正しかったのだろうと。
どうして日吉が笑ったのかなんて正直全然わからなかったけど、一つだけわかったことがある。
それは課題が終わってもこの放課後の習慣が終わることはないだろうということ。
「あいうえお」作文製作中
((なるほどそういう訳か。・・・・・・まぁ、悪い気はしないな))
((笑顔に惹かれたなんてベタすぎて誰にも言えないや・・・))
日吉の心情など知り得るはずもなく、赤く染まりそうな頬を押さえながら私はそっと窓を閉じた。
****
ようやく提出しました今作品。
しかし、いつもながらに(以上に?)グダグダorz
一応クラスメイトから意識しあう仲への転換口を書ければ・・・と思い制作したので、
少しでもそれが伝われば本望かと;
(2010/04/05)