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始まりを告げる日

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「なんじゃ姫、また来とったんか」


 声に釣られて眼下を見ると、男テニレギュラーの……誰だっけ? 銀髪で変な方言しゃべる……ダメだ思い出せない。とにかく、レギュラーの何チャラって奴が私を見上げていた。
 わざわざ人気のないコート隅の木の上なんて特殊な場所に居たのに、何でバレたのか甚だ疑問だ。


「あんたに関係ないでしょ」

「関係ない、か。相変わらずつれんのう……。やが、こんなとこからじゃ、幸村の姿なんて、よぉ見えんじゃろ?」

「……これ、見てわかんないの?」


 私は言いながら視線を首にぶら提げていた双眼鏡に移す。暗に不要な心配だと伝えたかったのだけど、何チャラは「ずっとそれで見とると気分悪くならんか?」なんて、的外れな心配をしてきた。本当に、いったいどういうつもりなのか。


「平気。それより、何で毎回話かけてくるわけ? 私が幸村精市の妹だから?」


 呼び名にしてもそうだ。この何チャラだけじゃない。皆して私を『姫』って呼ぶ。だけど、理由は学園の王子様扱いされてるお兄ちゃんの妹だから。別に私が姫っぽいからでも何でもない。


「さぁの。もし姫さんが幸村の妹じゃからて言うたら、どうする?」

「……別に、どうもしない」


 だっていつものことだし。そう言おうとして、何チャラに言葉を遮られた。


「――の割には傷ついた顔しとるダニ。自分を見て欲しい……そんな顔しとるぜよ」


 思わず己の頬を触ってしまいハッとした。これじゃ、何チャラの言ってることを認めてるみたいだ。案の定、視界に入った何チャラは、我が意を得たりとばかりに不敵な笑みを浮かべている。


「図星のようじゃな。が、残念ながら今のまんまの姫さんじゃ、だ〜れも姫さん自身を見てはくれんじゃろうな」

「……何でよ」

「姫さんは俺の名前言えるか?」


 わからないから、脳内でずっと『何チャラ』と呼んでいるのだ。当然わかるわけがない。
 何を言いたいのか分からず首を傾げると、何チャラは呆れた様子を隠すことなく、深い深いため息をこぼした。ついでにずっと上を見ていて疲れたのか、くるりと首を回して、こちらを向きなおった。


「会うたびに名乗っちょったはずなんじゃがな……」

「それが、何だって言うのよ?」


 何チャラの名前を覚えていなくとも、日常生活には何の支障も無い。私には、わざわざ目の前の男の名を覚えることに、意味なんか見出せなかった。




 ――なのに。




 なのに、何チャラは驚くほど真剣な顔で、刺すような視線で、私を見上げて「お前さんはわかっとらん」と、低い声で断言するのだ。


「何がわかってないって言うのよ!」


 何だか腹が立って、気がついたら怒鳴っていた。


「姫さんの名前を誰も呼ばんのは、姫さんが誰の名も呼ばんからで、誰も姫さん自身を見んのは、姫さん自身が誰のことも見ようとせんからじゃ」


 一気にコートの歓声が掻き消えたような気さえした。彼の言葉以外が耳に入ってこない。


「そんなことっ!」


 ない。……なんて言えなかった。
 私とは違う完璧な兄。優しくて、賢くて、かっこよくて、強くて。そのどれもが私とは違う。最初は、大好きな兄の妹と言われることに、違和感なんて、抵抗なんて感じなかった。
 ううん。むしろ嬉しいとすら感じていた。それはきっと、小さい子供が自分の宝物を自慢するような気持ち。だけど何時の頃からかな、みんなが私自身を見てないって気づき始めたのは。それが悔しくて、遣る瀬無く感じ始めたのは。
 どこかで誰もがそうなんだと決め付けてしまっていた。そっちがそうなら私もって――。
 唇をきつく噛み締める。知らず胸元の双眼鏡を掴み、強く握っていた。


「そんなこと、あるじゃろ?」


 幼子を諭すような声。素直に「うん」と言えないのは何でかな。


「余計な世話じゃったか。ほんなら俺は練習に戻るき」


 何チャラは苦笑を浮かべて背を向けた。
 何でだろう。きっと今ここで別れたら、二度と彼は私に近づいてこないと確信できた。




 ――嫌だ。




 それは嫌だと思った。彼なら自分を見てくれる気がしたからかもしれない。
 お兄ちゃん力を貸して!
 双眼鏡を両手で包み込み、私は意を決して口を開いた。


「ま、待って!」


 ザッと砂を蹴る音がして、何チャラの足が止まる。黙したままの背中がやけに遠く感じた。


「……貴方の名前を教えて。今度はちゃんと覚える、から」


 尻込みしそうになる己を叱咤して、言葉を連ねる。彼の背を見つめている時間は、たった数十秒ぽっちのことなのに、数分にも、数十分にも思えた。
 このまま行ってしまうのかもしれない。半ば諦めかけたその時、再びザッと土を踏む音がした。視線の先では、何チャラが私の方に向き直っていた。


「仕方ないのぅ。……仁王雅治ナリ。お前さんも教えんしゃい。……覚えちゃるけぇ」


 さっきと同じ苦笑を浮かべて、何チャラは、いや、仁王雅治はそう言った。私は握っていた双眼鏡を放し、木から飛び降りた。ジンと痺れるような痛みが両足を襲う。声も無く呻きながら、チラリと仁王さんを見ると、彼は唖然として此方を見ていた。それが少し可笑しくて、自然と笑みがこぼれた。
 私は足の痛みを堪えて、すっくと立ちあがり、彼の方を向く。


「私の名前は――」




始まりを告げる日



****


幸村妹夢でしたー。
意図して名前変換のないものを書いたのは初めてだったので、とても新鮮でした。
もしも続きを書くとしたら、仲良くなった二人にシスコンの幸村が絡みに行く……って感じになるんでしょうかw
想像すると可愛いですね♪← その時は仁王に名前呼ばせたいな〜なんて思ったり^^


(2011/06/05)



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