L  /  M  /  S 
文字サイズ変更

確認儀式ルーチンワークを君と刻む

back / next / yume




※ATTENTION※
だいたいR15かそれ未満な温い(個人的な感覚として)エロみたいなグロみたいな何かです。多分大したことないとは思いますが、苦手な方は苦手かもしれないので、危ないと感じた方はこの場でUターン推奨です。







 月のない夜は、闇夜だ。――否、病夜か。
 襲い来る睡魔に身を任せれば悪夢ばかりが押し寄せるし、睡魔に抗って起きていても秒針の音が耳鳴りのように頭の奥の方で木霊する。
 気を紛らわせようと本を開いてみても、風が窓を叩く度に意識を引き戻される上、自分の隣に広がるシーツの余白がやたらと目について仕方がない。
 は暗がりを嫌うように部屋中の電気を点け、それでも眩しさは厭わしいのか、布団に顔を埋めて身体を丸めた。広く開いた隣のスペースに背を向けて。


「……フェイタン」


 名を呼んだところで、誰も居ない部屋の中では、応えが返ってくることはない。口に出した分虚しさが募る気がした。
 今何処に居るかも分からず、次にいつ訪れるかもしれない相手をただ待つというのは、存外に苦しいものだ。これが現地妻の悲哀なのかな、と考えて単なる現地妻ならばその方が幾分マシかもしれないと思い直す。
 自分以外に相手が居るであろうことはともかくとして、こちらからの連絡は一切取れないし、相手はいつ死んでも可笑しくない生き方をし、その上、現地で逢瀬を重ねるだけのの元へも、平気で彼の刺客が訪れるのだ。
 ――殺されることは怖くない。
 生まれてこの方、そういう目には何度も合ってきたし、合わせてきた。
 泣かせ泣かされ、奪い奪われ、騙し騙され、殺し殺されかける。
 世界は常に不平等で、弱ければ死ぬのが当然だということも否応無しに認識させられた。
 けれど――と、眼裏に月のない夜を描いて、は小さく丸めていた身体を、更にギュッと縮こまらせた。


「それでも……裏切られるの、は……やっぱり、怖い……」


 一度信じ合った相手に裏切られるのは、騙されるのとは根本からして違う。
 だからこそ――。
 思考はそこで途切れた。
 は睡魔に抗えきれずに意識を攫われる。月に一度の悪夢の旅路へ。


****


 その日、は浮かれていた。
 普段は会うことも儘ならない愛しい人から、今日こちらに来るという旨の手紙を受け取っていたからである。別に相手が手の込んだ料理を求めているわけではないことは十二分に分かっていたが、せっかく来る日が分かっているなら喜ばせたいのが人情というもの。キッチンに立つは、料理本と睨めっこをしながらも、締りのない顔で鼻歌交じりに手を動かす。
 何故普段は連絡一つ寄越すことのない彼の人が、今宵に限って連絡を寄越したのかなど考えもしない。ただただ胸中を占めるのは喜びだけだった。


「ふふん。結構上出来じゃない?」


 幾つか完成した料理を皿に盛り、料理本の写真と見比べて満足気に頷いた後、は壁掛け時計を見て驚いた。


「もうこんな時間?」


 時計の針は既に夜の十時。作り始めたのが六時だったことを考えると四時間もキッチンに居たことになる。この集中力を他で使えればいいのに、と誰にともなく呟くと玄関で鍵の開く音がした。


「ナイスタイミングってとこなかな」


 これなら料理も冷めなくて済む。はエプロンを解きながら小走りで玄関へと足を向けた。


「いらっしゃい」


 が出迎えると、フェイタンは「ん」とだけ返し、彼女の隣をスルリと通り過ぎて行く。いつもなら「今日の夕飯は何ね?」くらいは聞いてくるのに珍しい。体調でも悪いのだろうかと首を傾げながら、は玄関の鍵を閉めてフェイタンの後を追った。


「フェイタン、どうしたの?」


 追いついた時、フェイタンはどこに座るでもなく、部屋の中程で突っ立っていた。どこか所在無げに見えるのはどうしてだろう。やはり調子が悪いのだろうか?
 呼びかけても何も帰ってこないことに不安を覚え、はそっとフェイタンの方へと歩み寄った。後ろから手を伸ばせば、フェイタンの攻撃対象になってしまうのは目に見えているので、きちんと正面に立つ。


「具合、悪いの?」


 伸ばした手をフェイタンの額に当てる。が、特に熱いということもない。比較対象としてもう片方を押し当てたの額の方が熱いくらいだ。
 とはいえ、熱がないことが即ち体調に問題がないことにはならないわけで……。


「今日はもう寝ちゃう? 食事は明日起きてから温め直せばいいし」

「……ん」

「じゃあ先にベッドに行っとい――?」


 言葉を言い終わる前に手首を掴まれ、引っ張られる。


「いしょに寝るね」


 有無を言わさぬ視線に感じる違和感。掴まれた手のひらから感じる違和感。けれど、それがどういう違和感なのか、には判断がつかなかった。ただ、機嫌が悪いのか体調が悪いのかだろうと。だからいつもと雰囲気が違うのだろうと自身に言い聞かせ、連れられるままに寝室へと足を向けた。
 倒れ込むようにして横たわったベッド。二人分の体重を乗せて軋むスプリング。掴まれたそのままに縫い付けられた両の手首。窓から覗く新月の夜空。身体を跨ぐようにして覆いかぶさる愛おしい筈の人。
 ――筈?
 脳裏を過ぎった言葉に、身体の芯が我知らず震える。





 名前を呼ばれ、唇が重なった。
 何度も感じていた違和感が、ゆっくりと形を成していく。
 この男は――違う。
 思った瞬間に重なった唇に噛み付いた。小さな呻き声。声に釣られて顔を上げると、フェイタン――否、フェイタンの顔をした男は眉間に皺を寄せ、鋭利な視線でを見下ろしていた。


「――誰?」


 の声に男の唇は弧を描く。


「ワタシはワタシね」


 既に気付かれていると確信しているにもかかわらず、男は嘘を通す気でいるらしい。


「目的は?」

「目的? 何のことか?」

「……ふざけないで!」


 押さえつけられている両腕を諦め、未だ自由な状態にある脚で男を蹴り上げる。が、確かに急所に入った筈なのに、男は眉一つ動かさない。
 どういうこと?
 少なくともはひ弱な、守られるだけの女性ではない。ストリートチルドレンとして育ち、喧嘩も縄張り争いもそれなりにしてきた。体格差のある相手ならばともかく、フェイタンと同じ背格好ならばともそう体格は変わらない筈なのだ。
 けれど、この感覚には覚えがあった。
 フェイタンだ。彼相手に感じるのと同じ、自分とは何か次元の違う力。それをこの男も持っているのかもしれない。


「本当にただのいぱん人ね……なら」


 戸惑うをよそに、男は愉しげに喉を鳴らした。嫌な予感がする。いや、嫌な予感しかしない。何とかしなければ。そう思った瞬間、の片腕から男の手が離れた。
 チャンスだ!
 は一瞬の隙を逃さぬようにと動こうとした。が、が動く前に鳩尾に衝撃が走った。


「ッ……な、に?」


 唐突に視界に滲み始めた白い靄。力の抜けていく身体。どうすべきかは分からなかったが、ただこのままの状態が非常に危険なものだということだけはにも分かった。


「抵抗されても面倒ね」

「どういう……意味?」


 殺すだけならば、すぐに殺せただろう。何かを盗むつもりなら、今すぐ自分の上から退けばいい。
 人質にでもするつもりなのだろうか? 誰に対して? フェイタンに?
 だとしても無駄だし、このままならば役割を果たす前に死んでしまうに違いない。
 ならばと、出したくもない答えを弾き出そうとした時、男はの問いに答えるように、彼女の衣服を引き裂いた。
 こういうこと自体が特別珍しいわけでもない。これまでだって何度も遭遇し、その度どうにか逃げ切れたのは運が良かっただけだろう。だから、行為自体は耐えられる。
 だが、これでは――。
 見た目も、声も、愛する彼のものだなんて。なんて地獄だろう。
 憎むべき男の顔は分からず、好いている相手に無体を働かれる。まるで裏切りにでも遭っているようだ。


「一度頸絞めながらヤてみたかたね」

「……ッ」


 男の言葉に怖気立つ。
 出来るものなら意識を飛ばしてしまいたかったが、それをすれば死に至ることは明白だった。どうにか隙を探して逃げるしかないのだ。身体を這う感触から無理矢理意識を逸らし、声も出さぬよう堅く口を閉ざす。
 それでもフェイタンの格好をした男の姿など見たくなくて、視覚は捨てた。目は閉じ、感覚を研ぎ澄まし、逃げる時を――隙を見計らう。
 いつだ。いつだ。いつだ。
 吐き気を堪え、震える身体を叱咤した。ただの数分のことが何時間にも感じる。悠久に続くとも思われた行為は、けれど唐突に終わりを告げた。身体を這っていた手は動きを止め、男の体重がダイレクトにの上に圧し掛かった。
 同時に広がった鉄錆くさい臭気と、降り注いだ生暖かい液体。
 事態を把握すべく、閉ざしていた瞼を押し上げる。
 フェイタンに成りすましていた男は、首を刎ねられ死んでいた。真っ赤な血飛沫がの身体に降り注ぎ、ベッドを赤く染めている。一体誰が。男の身体を押し退ける力もなく、は視線だけを巡らせた。白く霞む視界の先に見えた黒い影。


「フェ……」


 ベッド脇に立っていたのは今日来る筈だと思っていた人。フェイタンだった。
 だが、はその名を口にすることを躊躇った。には彼が本物のフェイタンだと確認する術はないのである。確かに違うと思った男は、死んだ今でもフェイタンの姿で、それが正しかったのかすら、今となっては確かめようもない。


「精孔が開いてるね。……そのままだと死ぬよ」


 冷静すぎる死の宣告。最早彼が本物か否かなど後回しである。
 こんなところで、こんな偽者の手で、こんな呆気なく――死にたくない。


「……どうすれ……ば?」


 今必要なのは助けを請うことではない。対処法だ。
 咄嗟に浮かんだ救済を望む言葉を喉奥に押し込み、は視線だけを動かした。
 すると、フェイタンは首から下だけになった男をの上から蹴り飛ばし、白い靄を顎で指した。


「それを留めればいいだけね」


”それ”が意味するものは容易に知れたが、対処法は雑すぎて何の役にも立ちそうにない。湯気にも似た靄を繋ぎとめようと意識を向ける。だが、靄はを嘲笑うように次々と身体から逃げていくばかり。


「……才能なかたか」


 ならば仕方がないとばかりに言い放つフェイタンの言葉に、の中の何かがプツリと切れた。


「……ざけん、な」


 今まで流出していく一方だった靄は、の中で渦巻く感情と呼応したかのように、ぐるりと身体を覆って滞留した。それが留めるということだと理解した時には、の体力消費は限界値を超えてしまったらしい。濁流に呑まれるように、意識は微睡みの渦に呑まれて沈んだ。


****


「うっ……ん」


 またあの夢だ。は薄っすらと滲んだ額の汗を手の甲で拭い、瞼をゆるりと押し上げた。目を開けたにも関わらず、変わらず広がり続ける暗闇に眉根を寄せる。
 ん? あれ?
 何かが引っ掛かった。目の前に広がる暗闇。そうだ。点けっぱなしにしていた筈の電気が全て消えているのだ。
 ハッとして身体を起こす。キシリと啼いたスプリングを無視して、寝る前に余白だった隣を見れば、一人分の膨らみがある。
 はベッドから降り、明かりを点けた。煌々と照らし出された空間にホッと息をつくと、己が寝ていた場所へと戻り、隣の布団を剥いだ。


「来てたんだ?」


 問いかけると、寝ていたと思しきフェイタンが気だるげに瞬きし、切れ長の目にを映して嘆息した。
 怒るというより呆れた様子で身体を起こすと、フェイタンはおもむろに上着を脱ぎ始めた。露になった素肌には思わず視線を奪われる。小柄な体格ながらも、きっちりとついた筋肉のせいで貧弱さは微塵も感じさせない。いっそ芸術的とも思える均整バランスだ。
 向けられる視線を物ともせず、フェイタンはそのままサイドフレームの方に脚を下ろし、に完全に背を向けた。


「消えかかてる」

「この薄さじゃ、あと二、三日遅かったら消えてたかもね。もう少し早めに来てくれても良いのに……」


 何が、などと聞く必要はない。
 消えかかっているのはの”念”だ。あの日意識を取り戻した後にフェイタンを本物だと確認し、一通りの手解きを受け、その後完成させた”発”の名は《私だけの城》パーフェクト・キャッスル《鍵》マーキングと呼ばれる印がある者以外の侵入を拒む空間系の念である。
 この《鍵》マーキングは施されてから半年ほどで消える為、フェイタンには定期的に訪れるように頼んでおいたのだ。これで二度と偽者に騙されずに済むし、半年以上フェイタンが顔を出さなければ自動的に関係の解消と見做せる。
 半年でも苦痛だというのに、何年も来るか来ないか分からない人間を待つなど、とてもじゃないが耐え難い。
 は薄くなった背中の《鍵》マーキングに指先で触れ、念を込めてそっと唇を寄せる。《鍵》マーキングは己の存在を主張するかの如く色を濃くし、新たな半年間のカウントダウンをはじめた。


「終わったよ」


 合図のように背中に抱きつく。じんわりと伝わる体温と、彼の匂いに安堵を覚える。
 いつ終わるとも知れない確認儀式ルーチンワーク
 だけど叶うなら――。


「冷蔵庫に入てた麻婆豆腐まぁまぁだたね」

「ん〜、辛味が足りなかったとか?」


 ――この確認儀式ルーチンワークが永遠に続きますように。



back / next / yume