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ハートに描いた言の葉は

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「ねぇねぇ」

「あんだよ」

「手作りチョコってどう思う?」


 バレンタイン当日に聞くことでもないどうと思いながらも、隣の席で貰ったチョコを山のように机に積み上げている男に問いかけてみる。赤い髪をした隣人は、キョトンした顔をしたかと思うと、何を思いついたのか口の端を上げてニヤニヤと怪しげな笑みを浮かべてみせた。


「何だよ。俺に手作りチョコか? へぇ〜、まさか俺のことそんな風に思ってたとは思わなかったぜぃ」

「なわけないでしょ。で、どう思う?」


 バッサリと切り捨てると、隣人――丸井は詰まらなそうに肩を竦めて、積んであるチョコを一つ掴んだ。手の中に収まる小さな箱をジイッと見詰め、ポツリと一言こぼした。


「重い」

「……だよね」


 やっぱりそうだよね、と鞄に入れたままのチョコを思い出して軽く凹む。


「彼女とかなら嬉しいんだろうけどな〜。つか、それ以上に怖ぇ」

「どういうこと?」


 丸井はキョロキョロと周囲を見渡し、何かを確認した後、顔を寄せてきた。言いにくいことなのかと私も丸井に習って顔を近づける。存外顔が近くなって、どことなく気恥ずかしい。


「俺さ、何食っても大抵腹にくることねーんだけどさ……何でか女子の手作りの差し入れとか、バレンタインの手作りチョコ食うと、呪いでもかかってんじゃねーかってくらいの確率で腹にくんだよ」


 微かに青褪めて見えるのは、気のせいではないのかもしれない。
 というか、それは所謂「おまじない」と言われる類の、れっきとした呪いなんじゃなかろうか。……なんて、言えやしないけど。


「な、なるほどね。親しくない人から貰う手作りは鬼門だってことはわかった」


 上体を戻して鞄を漁る。


「これ、お礼ってころとで。安心してよ、既製品だから」

「見りゃわかるって」


 五円チョコのお得用パックを受けとり、丸井は事も無げに机の上の山に加えた。
 モテる男は義理チョコの一つくらいじゃ動じないらしい。普段なら「けっ」と嫌味の一つでも足してやりたくなるところだ。
 けど、こんな話を聞かされた後じゃ、そんな気にはなれなかった。それどころか、単に安かったからって選んだそれが、丸井に良縁をもたらすことを願ってやまない。せめてチョコに不可思議なものを入れない、まともな子と付き合えますように……。


****


 バレンタインの昼休みは、極一部において戦争の様相を呈している。
 私がチョコを用意した相手も、その極一部に含まれてはいるんだけど、絶賛敵前逃亡中だったりする。丸井からあんな話を聞いた後に、手作りチョコを渡す根性など生憎持ち合わせていないのだ。
 
 
「……はぁ。何で手作りにしちゃったんだろ」


 せめて既製品なら、渡すだけ渡すくらいしたって問題なかっただろうに。イベントテンションって怖い。つい気持ちが乗って手作りしてしまった。
 屋上庭園の隅に置かれたウッドデッキに腰掛け、溜息をこぼす。息は白く曇って空気に溶けた。流石に冬の屋上は寒い。ジンと冷えた指先は、あっという間に悴んでしまった。指先に息を吹きかけ、膝に乗せたチョコに視線を落とす。
 ラッピングがやけに上手くいっているだけに、虚しさもひとしおだ。


「自分で食べるしかない、か」


 チョコペンで名前まで書いてしまったのだから、お父さんに押し付けることも出来やしない。教室で食べると渡そうと思っていた相手が丸井にバレるし、家で食べるのは単純に悔しかった。
 ふぅ〜っと、肺の空気を全て吐き出し、一気に包装紙を破く。
 ビリッという音が自分の心を破る音に聞こえて、思わず顔を顰めてしまった。もう少し丁寧に開封すればよかったかも……。


「随分大胆に行ったね」


 ビリビリに破け、無残な姿になった姿に半ば後悔していた時のことだ。頭上から男子と思しき声が降ってきた。
 慌てて顔を上げるも、誰もいない。次いで首を後ろに巡らせると――男子生徒が立っていた。一見すると女性と見紛う程中性的な面立ち。青みがかった髪がゆるい波を描きながら端正な顔を縁取っている。


「ゆ、きむら……くん」


 意中の相手の突然の出現に動揺する。確かに屋上庭園は彼の出現スポットだと言われているけれど、花の少ないこの時期に、寒さ際立つこの時期に、まさか現れるとは思ってもみなかった。


「久しぶりだね、さん」

「そう……だね」


 口に出した声が震える。幸村くんとは学年が上がってクラスが離れてからは、碌に話す機会もなかった。久しぶりの会話は好意云々を除いても緊張を要するものだ。


「それ、開けないの?」


 幸村くんが言う「それ」とは、恐らく、多分、間違いなく、包装紙を破ったばかりの箱だろう。
 開けられるわけがない。だって開けたら「幸村くん大好きです」なんて書いてあるチョコだよ? 本人の前に晒すなんて、羞恥プレイ以外の何物でもないだろう。加えて重いなんて思われたら立ち直れない。


「あ、えっと……出来が悪いから、人目に晒すのはちょっと……」

「へ〜、手作りなんだ?」


 何だか墓穴を掘ってしまったような気がする。


「重いでしょ?」


 なるべく軽めに言って笑えば、幸村くんの顔が真顔になった。彼の纏う柔らかな空気が急に張り詰めたものに変わって、ちょっと息苦しい。


「誰かに言われたの?」


 何と答えるべきか迷って、口篭ってしまう。ただ妙な圧力に、あまり嘘をつくのも得策じゃないような気がして、いつだったか仁王が言っていたことを思い出した。真実を混ぜた嘘が一番気付かれにくいという言葉を。


「彼女以外の手作りチョコは重いし怖いって話を聞いてね。確かにそういうものかもな〜って思ったから、渡すに渡せなくなっちゃって……。捨てるのも勿体無いから、自分で食べちゃおうとしてたんだ」


 何でもないことのように語ろうとして、失敗したのがわかった。いつの間に込み上げたのか、溢れ出した涙が頬を伝うのを感じたから。ハッとして手の甲で拭おうとしたけど、その前に私の涙は幸村くんの指先で拭われていた。


「ねぇさん」


 涙で霞んだ向こう側で、幸村くんが優しく微笑んだ。


「そのチョコ、俺にくれないかな?」


 一瞬、幸村くんが何と言っているのか理解出来なかった。


「え?」

「だからね、そのチョコ。要らないなら俺にくれないかな? って」


 チョコって、これのことだろうか。包装紙が剥がれ、むき出しになった白い箱を見下ろした。
 幸村くんは行き場のないチョコを哀れに思ってくれたのだろう。というか、目の前で泣いてしまった結果、そう言わせてしまったに違いない。


「気を遣わせちゃってごめん。大丈夫だから気にしないで? 私チョコ好きだし」


 言うや否や、チョコの入った箱が幸村くんに掻っ攫われた。
 開けられてしまえば、私の想いは彼に筒抜けになってしまう。残念ながら立海に幸村という苗字の男子生徒は彼の他に居ないのだ。誤魔化しがきかない。
 動揺のままに立ち上がり、手を伸ばすが届かない。何故なら幸村くんが箱を持った手を頭上に上げてしまったから。


「ちょ、幸村くん!?」

さんの言い分だと、彼女なら問題ないんだよね?」

「へ? どういう意味?」

「だからさ、彼女が彼氏に手作りチョコを渡すのは、自然だって思ってるってことだよね?」


 彼女以外からは重いってことは、つまりそういうことだ。
 幸村くんの意図はわからないけれど、私の認識自体は今言われた通りで相違なかった。内心で首を傾げながら、浅く頷く。


「だったら今日からさんは俺の彼女。これで問題ないだろ?」


 本気……なんだろうか?
 柔らかな笑みを湛えながらも、私を見る目は刺すように鋭い。拒絶や嫌悪とは違うその眼差しは、真剣と言う言葉が相応しいのだろう。だからこそ、答えに窮す。


「このチョコの相手より、好きになってもらう自信はあるよ?」


 だって、これではまるで告白されているみたいだ。


「答え、聞かせてくれないかな?」


 もし本当にそうだとしたら、私は――。


「幸村くん。それ、返して欲しい」


 真っ直ぐに顔を上げて言うと、幸村くんは苦笑を浮かべながら、掲げていたチョコを私に差し出した。


「……ごめん」


 私がチョコを受け取った途端、幸村くんはこちらに背を向けた。行ってしまう。そう思った瞬間に、私は歩き出した彼のブレザーを掴んでいた。


「待って」


 振り返った幸村くんに、箱をずいっと差し出す。驚いた様子で瞬く幸村くんを無視して、私は深く深く息を吸い込んだ。


「包装紙破いちゃったけど、よかったら貰って……ください」

「……いいの?」

「うん。……だって私がこれを渡したかった相手、幸村くんだもの」


 箱を開いて中を見せれば、ハートの形をしたチョコが露になる。チョコに書かれた文字を見たらしい幸村くんは、片手で口元を覆いながらその場にしゃがみ込んでしまった。


「ゆ……幸村、くん?」


 一体どうしたというのだろう?
 思わぬ反応に戸惑っていると、幸村くんは「ごめんごめん」と言いながら、しゃがんだまま私を見上げてきた。


「自分に妬いてたかと思うと恥ずかしくってさ」


 そう言ってはにかむ顔が可愛くて、気付くと私は笑っていた。




(どうやらキミの心に届いたようです)




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