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なんて可憐なセンチメンタル
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眩しさに目を開けると、暖かな茜の光が、窓から差し込んでいた。はぱちりと開いた目を一瞬眇め、ゆるりと辺りに視線を配る。視線の先には、個人で有するには度を越した数の本、本、本。
「……ここ、図書館?」
見慣れた景色に、ようやくハッキリし始めた脳が答えを出す。ふと手元を見れば、やりかけの課題プリント。
「だ、だめだ。これじゃいつまで経っても終わんない」
苦手な数学の課題は、未だ九割ほど手つかずのまま。今日中に提出しなければ、課題を三倍にすると言われているというのに、時間は殆ど残っていない。絶望的状況だ。
「お前さん、音楽は得意か?」
溜息をこぼした瞬間声を掛けられた。聞き覚えのある声に“まさか”と思いながら振り返ると、そこにはが思い描いていた“まさか”の人物が立っていた。
「あ、えっと、割と得意だけど。それがどうかしたの? 仁王君」
仁王雅治。一年の時同じクラスだった人であり、の想い人でもある。突然のことに驚きながらも、意中の人の登場に知らず胸が高鳴る。
「これじゃ」
見せられたのは一枚のプリントで、どうやら音楽の課題のようだった。内容は楽器の種類だったり、音楽記号についてだったり、音楽家についてだったり。
「俺は数学は得意じゃし、音楽は苦手。お前さんは音楽は割と得意で、数学が苦手」
「つまり?」
「課題を交換せんか? 元クラスメイトのよしみで、え〜っと……」
同じクラスに居たことを覚えていてくれたのか、と嬉しくなる反面、名前すら覚えてくれてないのか、と悲しくなる。
「。」
「そうじゃった。さん」
部活仲間に見せるのとは明らかに違う、作ったような笑み。そんな仁王の笑みを見た途端、一気に嬉しさは消え、の胸には虚しさばかりが込み上げてきた。
要は、がどうのと言うのではなく、少しでも早く課題を終わらせ、部活に参加したいのだろう。言うなれば、利用のしあい。
「……いいよ。私も助かるし。はい、これ」
プリントを差し出し、作り笑顔で交換。これじゃ狐と狸の化かしあいみたいだと思いながらも、はさっそくプリントに取り掛かった。好きな人と会えたのに、話せたのに、普段よりも辛い。だから、さっさと終わらせてこの場所から立ち去りたかったのだ。
睨むようにプリントに対峙するは、未だ立ったままの仁王が、驚いた顔で自分を見ていることになど気づかなかった。
「ピヨ」
不意に不可思議な声がして、ガタリと隣の椅子が動かされた。
「え?」
見れば仁王が当然のように、椅子をひいていた。てっきり自分とは離れた席でやるのだろうと思っていたの口からは、喜色の欠片すら滲まない戸惑いの声だけがこぼれる。
「何じゃ?」
「ううん、何でも」
緩く首を横に振ると、はそそくさと作業に戻った。課題の提出期限は残り三十分。仁王の態度に一喜一憂するには時間が足りないのだと言い聞かせて、目の前の課題以外のことを考えないようにする。そうでなければ、思わず泣いてしまいそうだったから。は己の唇をきつく噛み締め、黙々とペンを走らせた。
しばらくすると、横に座った仁王からもペンの音がし始める。
誰かがページを捲る音、そこかしこから聞こえるペンの音、本を棚に出し入れする物音。茜に染められた図書館は、どこか懐かしい雰囲気と、幻想的な雰囲気を漂わせ、を酔わせる。
気づけば課題プリントはあと一問。時計はタイムリミット十分前だった。
「ふ〜」
小さく息をついて、が首を回すと妙な音が耳に入ってきた。
ガサ。パキッ。
「ん? ガサ? パキッ?」
音のした方を見ると、仁王がポッキーを咥えていた。今更ながらに仁王の存在を思い出し、これじゃ恋する乙女失格だなと自嘲する。
「何じゃ?」
「ううん、何でも」
言って、最後の一問を書き込んだ。
「完成。……はい、これ。そっちは出来た?」
「ほれ」
再度プリントを交換する。渡されたプリントは意外なほど綺麗な字で、きっちりと埋められていた。これなら課題三倍の刑からは逃れられるだろうと、頬が緩む。
「あ!」
課題三倍で思い出し、時計を見ると、タイムリミット五分前。は慌てて帰り支度を済ませて、椅子から立ち上がった。
「じゃ、仁王君ありがとう!」
作り笑いで言いながら、きっともう直接話すことなどないのだろうなと考える。そのまま歩き出そうとした所を、手を掴まれて止められた。犯人は勿論、横に座っていた仁王に他ならず、は思わず首をかしげた。
「えっと、何か間違ってた?」
自分の解いた課題に何かミスでもあったのだろうかと、振り返ると口に甘いものが入り込んできた。
「ん!?」
「礼じゃ。またの、」
いつの間に帰り支度を済ませていたのか、仁王はの口にポッキーを一本差し込むと小さく笑んで、行ってしまった。作り物ではない本物の笑み。
「何それ……ずるい」
“またの、”
頭の中で繰り返される言葉。
「名前、覚えてくれたのかな?」
“また”なんて、期待はしていない。それでもの胸は甘い鼓動を奏でる。
「本当に“また”があったら。その時は私も本当の笑顔で……って、しまった時間!」
やっぱり自分は恋する乙女失格だ。そう苦笑しながら、は図書室を駆け出した。
なんて可憐なセンチメンタル
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最後まで読んで下さったお嬢様、素敵な企画に参加させて下さった雪実様、本当に有り難うございました。
Black Strawberry 桜花
お題by 泣殻様
(2011/04/18)