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共家〜Share House〜
大切な人が本命ならば
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キッチンにチョコを溶かす甘い香りがふわりと広がる。ふんふんと鼻唄を歌いながら作業を進めていると、背後でガタンと何かが倒れる音がした。振り返ると、リョーマと赤也が重なり合うようにして床に倒れていた。
「……そういうことは部屋で」
「違うから!」
「違うってーの!」
「冗談よ」
二人の関係が仮にアレな関係だとしても、押し倒すなら向かい合った形になるだろうし。同じ方向を向いたまま倒れる、なんてことはないはずだ。たぶん。
「それで、二人は何してたの?」
私は問いかけながら、熱した生クリームをかけたチョコを泡だて器でかき混ぜる。その間に立ち上がったらしい二人は、揃って私の背後に立ち、作業の様子を覗き込むように身を乗り出してきた。
え〜っと、確かここで卵と牛乳を投入して、と。
目の前に置いたレシピを確認して、用意しておいた材料を加えていく。
「それ、バレンタインのチョコでしょ?」
「誰にやんのかなって」
左側からリョーマが、右側から赤也が。まるで示し合わせたかのようだ。
「何かと思えば……。私がチョコ作ってるの、そんなに意外?」
予め焼き、冷ましておいたタルト生地に今混ぜ合わせたものを流し込みながら笑うと、二人は決まり悪げに顔を見合わせて頷いてみせた。
「手作りってことは本命……だよね?」
リョーマの言葉に手が止まる。
果たして父兄へのチョコを手作りするのは変なのだろうか?
家族なので手作りだからと言っても、よほどのことがなければ恋愛的な「好き」だと捉えることはないだろうし、特に問題はないはずだ。それに二人とも母さんと私が作ったものが一番美味しいって言う人たちだから、買ったものを贈るという発想が、今の今まで浮かびすらしなかった。
これが普通だと思って疑ったことなんてなかったけど、これって私がおかしいのかな?
思考がぐるぐると脳内を巡る。が、答えらしきものは導き出せない。
ただ、本命という言葉が気になった。
「本命って、大切な人ってこと?」
頭に浮かんだ疑問をそのまま口にすると、二人は「今更何を」と言いたげな表情で頷いた。
それが恋愛感情に限ったものでないならば、このチョコは間違いなく本命と言える。
「……なら、本命」
存外大きく響いた自分の声に驚いたのは一瞬。すぐに気を取り直し、チョコを流したタルト生地をオーブンへと運ぼうとした。けれど、動こうとした途端、両側から腕を掴まれ、動くことは出来なかった。
「え〜っと、どうしたの?」
「どうしたのじゃねーって」
「俺たち、の婚約者候補でしょ?」
当然のようにこぼれ落ちた言葉に絶句する。
「え……何のこと? 若に関しては、お兄ちゃんがそんなこと言ってた気もするけど……」
それだって、お兄ちゃんが勝手に言ってるだけだ。
「日吉がそうなら俺らだってそうに決まってんだろ!」
「従姉弟なら結婚できるしね」
中学生の内から結婚を視野に入れてるなんて、どれだけ生き急いでるんだろう。というか、そんなつもりだったなんて初耳なんだけど。
「なのに俺たちを差し置いて本命チョコとか」
「その相手、潰すよ」
何か、赤也の言葉が物騒だ。
薄っすらと赤也の目が赤くなっているけれど、これが噂に聞く「赤目」とやらの前兆なんだろうか?
「とりあえず、オーブン冷めちゃうから一旦手を離してくれる?」
せっかく余熱しておいたのに無駄になってしまうのは勘弁だと訴えたものの、私の両腕は一向に自由にならない。
「ちょっと?」
「まだまだだね」
「渡す相手言うまで離さねーぜ?」
別にそんなにもったいぶるような相手でもないし、さっさと言って離してもらおう。そんな私の考えを嘲笑うかのように、ここにきて第三者の声が響いた。
「何してるんだ?」
この家に自由に出入り出来る人間なんて一人しかいない。
「お、いーとこに来たな日吉!」
仲間を得たとばかりに声を上げる赤也の様子に、これはまずいことになったと焦りが生まれた。そもそも本当に「好きな人」とやらが居れば別だけど、これはお兄ちゃんと父さんに送るものなのだ。必要以上に騒がれると言い出し辛くなるのは必至である。
「あ、あのね!」
「何があったんだ?」
早く言って終わらせたいという気持ちに反して、私の言葉に被さるように若が状況確認を始めてしまった。
「見りゃわかんだろ、がチョコ作ってんだよ!」
「しかも本命だってさ」
二人も私の言葉なんてそっちのけ。口を挟む間もなく、息の合った連携で要点だけを伝えていく。
間違ってはいない。決して間違いではないのだけれど、これでは誤解が広がるだけだろう。
「いや、あのね」
「……本命?」
どうしてこうも私の声は黙殺されてしまうのか。
振り返ってみれば、この奇妙な同居生活をするに至った我が家の話し合いの場でも、私の声は図ったかのようなタイミングで遮られていた。もしかして私の声って通りが悪い、とか?
一度本気でボイストレーニングでもしてみようかな……。
「!」
三方向から同時に名前を呼ばれ、飛んでいた意識が引き戻された。
「な、何?」
「何じゃなくて、本命って誰って聞いてたんだけど」
不貞腐れたように呟くリョーマの声に、赤也と若が同意するように頷いた。
押し黙ってこちらを見ている様子が、以前クラスメイトと噂になったのを聞きつけたお兄ちゃんと、更にお兄ちゃんからそれを聞いたお父さんの様子と見事に重なって見える。特にお兄ちゃんが横で騒いでいたのに比べて、あの時のお父さんは難しい顔をして私の顔を見詰めていたっけ。
「……何だか三人とも私のお父さんみたいね」
娘の彼氏に一喜一憂する父親、という感じ。勿論私のお父さんもそこに含まれてるんだけど。
「なっ!」
「ちょ!」
「はぁ!?」
三人とも口を軽く開いた状態で絶句している。たとえて言うなら、その様子は魚が餌を求めているところに似ていると思う。
「ま、そのお父さんとお兄ちゃんが本命なんだけどね」
「本命が二人かよ!?」
「いや、問題はそこじゃないでしょ」
漫才もどきを繰り広げている赤也とリョーマを見ていると、後ろから肩を叩かれた。若だ。
「お前の本命は父兄なのか?」
「うん。だって赤也もリョーマも大切な人なら本命だって言うから。……間違ってないでしょ?」
しっかりと胸を張って言えば、私を拘束していた二人の手がスルリと離れていった。ようやく解放された腕をさすり、オーブンへと駆け出す。
あぁ、やっぱり冷めてしまっている。
再度余熱をはじめるた背後で、盛大な溜息の三重奏を聞いた気がした。
大切な人が本命ならば
(三人とも本命ってことになるのかな?)