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共家〜Share House〜
忘れ物にご注意下さい
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目の前に仲良く並んで置き去りにされた二つの弁当の包みを見詰め、私は「どうしてこうなったのか」と遣る瀬無い溜息をこぼした。
これが赤也なら、それこそ仕方がないと思えるんだけど、今回はリョーマと若だ。リョーマはともかく、若は結構しっかりしているのに珍しい。それに、何故揃って忘れて行くかな〜。
今日はみんな大好き日曜日。私自身は学校もなく、届けようと思えば届けることも可能だろう。しかも何の因果か、今日はリョーマの居る青春学園と若の居る氷帝学園の練習試合だそうだ。ついでに言えば赤也の居る立海大附属は柿木とやらと練習試合らしい。こちらはきちんと弁当を持っていった模様。感心感心。
あれ、何の話だっけ? えーと……そうそう、つまりお届け物二つに対し、お届け先は一箇所だけという非常にお誂え向きの状況であるということだ。
「でもなぁ〜」
頭では分かっている。中学生の財布事情を考えても、休憩時間の問題を考えても届けるべきなのは分かっている。
けれど、テニス部というものはこれまた何故か例外なくおモテになるらしいのだ。聞くところによれば、学校という枠を超えてファンクラブが存在する学校もあるのだとか。うちの高校ではそうでもないよね? と思っていたのだけれど、どうやら今の中学テニス界は逸材揃いだとかで、高校テニス界とは事情が違うらしい。
加えて言うなら、うちの高校のテニス部は全国区には程遠い弱小校ということもあるのだろうけれど。
何が言いたいかというと、ギャラリーというかファンの中に突入するのはかなり勇気のいる行為だということ。
ん? でもそんなにファンの子が居るなら、差し入れで昼食くらい賄えるのではなかろうか。
「そうだよね、きっとそれで何とかなるはず!」
良いアイディアだと納得しかけた私の幻想を打ち砕くように、リビングのセンターテーブルに置いていた携帯がメールの受信を告げたのはその時だ。
「……この音はリョーマか」
タイミングが良すぎて泣きたくなった。このタイミングでメールなんて弁当のこと以外に考えられない。
儘よとメールを開いてみれば、予想通りの文面。
『弁当忘れたから届けて欲しいんだけど』
尊大すぎじゃないか、と思った私は悪くないと思う。たぶん。
さて何と返そうか。返信画面にして私は気付いた。メールで連絡がつくなら、人気のないところに出向いて貰えばいいのである。
そうだ、そうして貰おう。ついでに若にはリョーマから渡して貰おう、そうしよう。例え二人の関係がどういう風に勘ぐられようとも、私の知ったことではない。
忘れていく方が悪い。ただそれだけなのだ。
私の指は軽快に動く。
『わかった。でもテニスコートがどこにあるか分からないし、校門まで取りに来てよ?』
これでよし。
リョーマの返信を待つ間に着替えを済ませ、必要なものを集めてしまう。
忘れ物の弁当箱二つに、携帯、財布……あとは移動中に読む本くらいかな。いつも使っているバッグに放り込んで、戸締り開始。一通り見回った時、これまたタイミングよくリョーマからの返信がきた。
『了解。近くまで来たら連絡して』
ん〜、ありがとうもごめんもないとは……。教育的指導の一つや二つは許されるはずだ。
靴を履きながら、そういえば再来週テニスの実技テストがあることを思い出した。ふむ。手取り足取り教えて貰おうではないか。運動のあまり得意ではない私が格好よくテニスをすれば、友人達は驚くに違いない。
自分の考えに満足し、私は軽い足取りで玄関の扉を押し開けた。
****
本日の練習試合はリョーマの学校――即ち青春学園で行われるということで、私はお弁当を鞄に押し込み青春台へと訪れた。途中道に迷いながらも、通りかかる人に何度も道を尋ね、ようやく青春学園に辿り着いた時には昼時間際になっていた。
間に合うといいんだけど……。
学校名の掲げられた門柱に背中を預け、手早くメールを作成する。文章はシンプル・イズ・ベスト。
『着いたよ』
「……送信、と。ふぅ〜、私立の学校って何でどこの学校も無駄に大きいんだろう?」
首だけを巡らせて校舎を視界の端に留め、思わず呟いた。私の通う高校は、住宅街にこじんまりと鎮座している小さな都立高校。中学も地元の区立中学だったこともあって、私立の学校の規模は計り知れないと思う。
ふと校門に視線を戻すと、ジャージを着た生徒が纏まって出て行く姿があった。あ、若と同じジャージ。水色と白の生地に右肩のストライプに襟のところだけ黒いジャージは、間違いなく若のものと同じデザインだった。
もしかしなくても氷帝かな? というか、あの茶髪は――。
サラリと揺れる薄茶色に視線をやると、当然の如くその持ち主と目が合った。
うん。若だね。
どうやら昼を買いに出るつもりだったらしい。
若は一緒に歩いていた部活の人に何かを言って、こちらに来た。大方「知り合いだ」とでも言ったんだろうけど、若越しに驚いたような表情で凝視されているのは一体何故だろうか。
「どうして此処に居るんだ?」
「どうしても何も、せっかく作ったお弁当を忘れて行くからです。はい、これ」
鞄を開いて、濃い緑色の布に包まれた弁当箱を渡し、次いで青色の布で包まれた弁当箱を差し出す。若は「悪いな」と緑の弁当箱を受け取りながら、青色の方の弁当箱を受け取ることなく注視して首を傾げている。
「……これは越前の分じゃないのか?」
我が家では緑が若の、青がリョーマの、赤が赤也のと分かりやすいように布を色分けしているのだ。若は好きな色などないと言うし、赤也は原色なら何でもという具合なので私の独断と偏見で決めた。リョーマは好きな色こそあったけどシルバー。流石に銀色に光る布はちょっとね、ということでこれまた私の独断と偏見で青となったのだ。
「そ、リョーマの。渡しておいてね?」
「何で俺――」
「渡しておいてね?」
不満気な若の言葉を遮って、言葉を重ねる。
若はまだ何か言いたげだったけれど、渋々といった様子で青色の弁当箱に手を伸ばした。私が譲る気がないと察したのかもしれないし、このままこの遣り取りを続けることに不毛さを感じたのかもしれない。理由はどうあれ引き受けてくれたのだから、それだけで十分だ。
私は延々と来やしないリョーマを待つのは勘弁願いたいので、折れてくれた若の手に遠慮なく弁当箱を委ねた。するとその瞬間、若の背後から「あの日吉が女の人から弁当を!?」だの「俺幻覚見てんのかも」だの、何だか意味不明な言葉が飛び交いはじめた。若が私に近づくだけでも驚いていたようなのだから、学校で若がどう過ごしているのか激しく疑問である。が、あまり長いこと引き止めていては若の部活仲間に申し訳ない。
「じゃあ渡したし、私は帰るよ。……あ、リョーマに「貸しだから近いうちに返してね」って伝えといて」
「俺はいいのか?」
不思議そうに尋ねてきた若に、私は小さく笑った。
「そのメッセージを伝えてもらうのと、お弁当渡して貰うのでチャラってことにしとく。あ、それと帰りに板チョコ買ってきてくれると嬉しいな〜」
やはり、ただより怖いものはない――ということだろうか。若は分かりやすく安堵の表情を浮かべた。
「わかった。気をつけて帰れよ」
「ん。午後も頑張ってね」
伝えるべきことを伝え終えると、私は清々しい気分で青学に背を向けた。