L  /  M  /  S 
文字サイズ変更

逢瀬は迅速かつ印象的に

back / next / yume




 廊下の曲がり角に身を潜め、肺の中の空気をゆっくりと吐き出す。胸の前で抱え持った小さな箱に視線を落とすと、少しずつ近づいてくる黄色い声の波みに耳を傾け、空唾を呑み込んだ。









 昼休みの屋上は、四月半ばを迎えた今も少し肌寒い。吹き抜ける風に髪を撫でられながら、隣に座る人物を見つめる。丸井ブン太――私の彼氏殿である。

「あのなぁ〜、そんなじっと見られてっと食べにくいっての」


 ブンちゃんはそう言って、持っていた箸を下ろしてしまった。当然、箸に挟まれていたものも。


「あぅ……ブンちゃんの焦らし上手」


 箸の間の黄色――と言うか茶色の物体とブンちゃんの顔を見比べて、私は軽く項垂れた。
 ブンちゃんの手の中には、大食漢の彼には似つかわしくない小さな弁当箱が一つ収まっている。私のお手製弁当だ。お世辞にもキレイとは言いがたい彩りの盛り付け。いや、そういう問題じゃないことは分かっている。色の塩梅以前に、一つ一つの出来が、とてもじゃないが人様に食べさせて良い様な出来ではない。コゲとか不恰好な形とか寄っちゃってるとか色移りだとか。
 もっと言えば――


「いや、焦らしてねーし。……はぁ。食うぜぃ?」

「う、うん」


 何かを覚悟したような表情でブンちゃんが箸を動かす。大きく開いた口に、残念な色合いの卵焼きが放り込まれる。


「ガリッ……あ〜、甘い卵焼きって言ってもさ……ジャリッ……限度ってもんが、あるんじゃ……ザリッ……ね?」


 卵焼きとは程遠い音を奏でながら、ブンちゃんはポリポリと頬を指先で引っかいた。


「ね、その音……」

「……砂糖入れすぎだな。まぁ、卵の殻は……前よか減ってっけど」


 ――壊滅的に下手だということだ。


「てか、も見てねーで昼飯食えって。昼休み終わっちまうだろぃ?」


 つん、と膝に乗せた弁当箱を突かれ、私の体は無意識に強張った。
 赤い布地で包まれた弁当箱は、ブンちゃんが持っているものより二周りは大きい。ブンちゃんの手作り弁当だ。最初は開けるのが楽しみで堪らなかったブンちゃんのお手製弁当も、自分の弁当を数回持参するうちに、私の自信を打ち砕く、気分の滅入る存在へと変わってしまった。
 そんなこと、ブンちゃん本人に言えやしないけどね。
 加えて――


「……足音だな。、悪ぃけど」

「うん」


 申し訳なさそうに両手を合わせるブンちゃんに頷くと、私は可能な限りの速さで立ち上がり、給水塔の影へと向かう。
 ガチャっと入り口が開く音がしたのは、丁度私が腰を下ろした瞬間だった。


「やっぱりブンちゃんは此処に居ったんじゃな」


 口調と声から察するに、同じクラスの仁王くんだろう。と思ったら、足音も声も一つじゃなかった。


「やぁ、今日は天気がいいね」

「丸井先輩! 昨日言ってた漫画持ってきたっス」


 親しみの篭った声音に、ブンちゃんの部活仲間だとすぐにわかった。これが初めてじゃないからだと思う。私は楽しげに言葉を交わす声を背に、薄暗い影の中で、真っ赤な包みを解いた。音を立てないように蓋を開けて、見た目にも美しいおかず達を前に、込み上げてくる涙を堪えることが出来なかった。
 容姿が特別秀でているわけではない。勉強が特別出来るわけでもない。運動だって人並み以下。ならば性格がめちゃくちゃ良いかって言ったら、そんなことはない。


「そりゃ、誰にも言いたくないか」


 涙で塩味を増した卵焼きを噛み砕きながら、騒がしいぐらいの笑い声に溶かすよう、私はそっとひとりごちた。
 ――私は内緒の彼女。
 誰にも紹介してもらえないけど、たぶん、きっと。彼女だ。


****


「よ、よし。これなら……きっと、たぶん、なんとか、大丈夫!」


 調理台に積まれた無数の失敗作。その山の横に、成功作がたった一つだけ鎮座している。
中央が窪んだ円形生地に、キルッシュを加えたシロップをたっぷりと浸して、窪みに生クリームをたっぷりと絞ったお菓子。――サバランだ。
 仕上げにスライスしたイチゴを乗せて、ミントの葉を添える。
 私が用意したブンちゃんの誕生日プレゼント。他の子たちもきっとケーキを用意するだろうからって、少しだけ変化球を狙って頑張った。それはもう本当に頑張った。テスト勉強よりも頑張った。


「喜んでくれるかな?」


 小さな箱に気持ちごと収めて封をする。
 上手く出来ていたら、喜んでもらえれば、きっと自信を持てる。そう思いながら、私はいつもより一時間も早く家を出た。


****


 とりあえず、私が目指すべきは二つ。
 一つはブンちゃんにプレゼントをきちんと渡すこと。生クリームの問題もあるからなるべく早めにだ。だから、昼休みじゃなくて、朝がいい。
 もう一つは、彼女だってバレちゃいけないんだから、きっちりブンちゃんのファンとして、誰にも印象に残らずに渡すってこと。
 そんなわけで、朝練を終えて教室に向かうところを狙い撃つのがベストだと判断した私は、ブンちゃんが必ず通るであろう昇降口付近の廊下の曲がり角で待ち伏せすることにした。そう考えているのは私だけではないのか、視線を巡らすと数人の女生徒がそわそわと落ち着き無く昇降口の方を見ている。
 少しでも可愛く、といつもより時間をかけた髪のセットも、彼女たちと比べればどこか見劣りする気がして、ほんの少し膨らんだ気持ちが萎んだ気がした。我ながら情けない話だ。


「丸井先輩、誕生日おめでとうございます!」

「ま、ま、ま、丸井くん! これ!」

「ブン太先輩あの……」


 黄色い声が近づいてくる。
 早まる鼓動を抑えるように胸に手を当て深呼吸。そして、私は勢いよく飛び出した。


「丸井く――」


 あ、と思った瞬間には、目の前に現れた人物に思い切り体当たりをかましていた。顔を上げると、渋い顔をした真田くんの顔。


「ご、ごめん!」


 慌てて飛び退いた視界の端に、驚いて此方を見ているブンちゃんが居た。
 そうだ、プレゼント渡さなきゃ。
 そう思ったのに、手元に箱が無い。じゃあ、どこに?
 ついと視線を落とすと、箱はすぐに見つかった。


「……あ」

「む……」


 真田くんの足元で。


「……すまん」


 気まずそうな声にハッと我に返る。
 迫り上がってくる感情の波を圧しとどめ、滲みそうになる涙をぐっと堪える。


「う、ううん! 私がぶつかっちゃったせいだし! それより真田くん足汚れなかった?」

「あ、あぁ」

「そっか。ならいいの。本当にごめんね?」


 潰れた箱を拾い上げると、私は顔に無理矢理笑みを貼り付けて背を向けた。窓ガラス越しに見たブンちゃんは、心配そうにこちらを見ていたけど、それだけ。
 私は下唇をきつく噛み締め、その場から走り去った。
 きっと追いかけても来てくれないだろう。私との関係は内緒なんだから。


****


「いいのかい?」


 幸村くんに真顔で言われて、俺は驚いた。


「な、」

「何がだよぃ? とお前は言う」

「今慰めに行ったら、コロッと落とせそうじゃのう?」

「あ、なら俺行くっス!」

「……お前ら」


 呆然と呟くと、赤也が「あ〜」と歯切れの悪い声を響かせた。


「けど、マジな話破局寸前って感じっスよね?」


 破局ってのは、付き合ってること前提……だよな? なんでコイツ……。
 俺の疑問に答えるように、仁王がニヤリと笑った。


「何じゃ、本気で隠せとるつもりやったんか?」


 それはつまり――


「おいお前たち、何の話だ?」

「真田は黙ってなよ」

「……うむ」


 ――幸村くんに黙らせられた真田はともかく、他の奴らにはバレてるってこと、か?
 伺うように視線を遣ると、全員「知ってる」って顔でこっちを見てた。


「俺たちに紹介したら、彼女が心変わりしそうで怖い?」


 天使のような笑みを浮かべて幸村くんが毒を吐くと、赤也が思いついたように口を開く。


「彼女のミーハーっぷりが露呈したら百年の恋も冷める……とかスか?」


 二人の言葉に頬を引き攣ったジャッカルが、諦めた様子で「もっと中学生らしい理由じゃねーのか?」と呟いた。


「……からかわれるのが嫌だったとかですかね?」


 横に居た柳生が、ジャッカルの言葉を踏まえて首を傾げる。


「俺は――」

「全部だろう。違うか?」


 違わねぇ。柳の言葉に何も言えずに居ると、仁王に肩を叩かれた。


「このままじゃ、独り占めどころかサヨナラじゃな。俺が女やったら、辛いときに追ってもこん、助けにもこん男なんざごめんじゃ。そもそも、どんな理由であれ、仲間内にも言えんて言われたらショックじゃろうし」


 ショック。仁王の言葉に凹んでいると、もう片方の肩に幸村くんの手が乗せられた。


「これ以上廊下で立ち話は迷惑になるから、俺たちは教室に行くよ。丸井は、どうするんだい?」


 どうする? んなの――。


「追っかける」


 俺は顔を上げ、荷物を仁王に押し付けると同時に駆け出した。アイツの、の姿を探すために。


****


 屋上の給水塔の影にしゃがみ込み、私は箱ごと無残に潰れたサバランに視線を向けた。文字通り、ぐちゃぐちゃだ。箱がひしゃげ、シロップが滲み、隙間から生クリームがはみ出している。


「せっかく成功したのにな」


 指先についたクリームを舐め、溢れ出した涙を手の甲で拭った。
 まるで私みたい。
 ぐちゃぐちゃに潰れたサバランは、今の気持ちそのままで、何か惨めだ。


「……ブンちゃんのバカ」

「バカで悪かったな」

「え!?」


 慌てて顔を上げると、給水塔の表側からブンちゃんが姿を現した。逆光でわからなかった表情も、一歩一歩と近づいてくると次第に見えるようになった。


「……なんて顔してるの?」


 思わず立ち上がって歩み寄った。ブンちゃんは今日が誕生日とは思えないような、暗い顔をしている。


「それ、こっちの台詞だっての。……悪ぃ。泣かせるとか、俺最低だな」


 ブンちゃんの腕が伸びて、指先が私の頬をそっと撫でた。
 追いかけてきてくれたんだ、とか。友達には何て言ってきたんだろう、とか。脳内を色々駆け巡るのに、何一つ言葉にならない。


「俺バカだからさ、にアイツら紹介したら、俺より他の奴と仲良くなるかもしんねーとか、アイツらにからかわれるかもとか、ミーハーな反応されたら嫌だな、とか思って」

「ミーハー?」

「だって前に言ってたろぃ? 氷帝の跡部が気になるって」


 確かに以前言った覚えがある。
 けど、それの何が問題なのだろう? 私にはよくわからない。


「……うん。だって、気にならない方がおかしいでしょ? あの指パッチンの音量」

「へ?」

「え? だから、指パッチンの音量……不思議じゃない? 外で、観客も居るのにあんなに響くんだよ?」


 あの衝撃は忘れられない。


「跡部が気になるって……そこか!?」

「他に何か……あぁ、確かにあのジャージの脱ぎ方も不思議だけど。幸村くんみたいに肩に掛けてるならともかく、袖通しといてあの早脱ぎは、最早神業の領域かもしれない」


 テニスしてる人には変な人が多いとは思うけど、跡部くんはまたちょっと異質だと思うのだ。


「……はぁ。つまり俺の考えすぎかよぃ」


 気が抜けた様子でしゃがみ込んだブンちゃんに合わせて、私もしゃがむ。




「何?」

「放課後、レギュラー皆で俺の誕生日祝ってくれるって言ってて」


 一緒にお祝いすることも出来ないのか、と胸が痛んだけれど、私は無理矢理笑みを刻んだ。


「そっか。よかったね!」


 手に持ったままの潰れた箱が、どうしても視界に割り込み、笑みが崩れかける。そっと体の後ろに動かそうとしたら、その腕をブンちゃんに掴まれた。


「……来る、だろぃ?」


 意外な言葉は、うまく噛み砕けず、軽く混乱する。


「え?」

「だから、のこと紹介してーし、にも祝って欲しいから、放課後は空けとけって言ってんだよ!」


 分かれ、と顔を背けたブンちゃんの顔は、うっすらと赤い。


「……それからこれ。早く渡せっての」


 ぐっと掴まれた腕を引かれて、潰れてしまった箱が私とブンちゃんの間に引っ張り出された。


「でも、潰れてるし」

「いいんだよ」

「踏まれちゃったし」

「いいって」

「美味しくないかも」

「いい。お前が俺に作ってくれたってだけで、十分……てか、分かれよそこは!」


 仏頂面で額を小突いてくるブンちゃんが可愛くて、気づけば箱を持ったまま勢いよく抱きついていた。









 抱き返される腕の感触。グリーンアップルの香りが鼻腔をくすぐる。安心する香り。それから、とっても甘いクリームの――。
 ん? クリーム?


「あ――!」

「なんだよぃ?」

「……ご、ごめんブンちゃん。ジャケットにクリーム付いちゃった」


 慌てる私をよそに、ブンちゃんは「付いちまったもんは仕方ねぇ」と、よくわからない男気を発揮して、中々私を離してくれなかった。




あとがき(ひとり反省会)
えーっと、色々すみませんでした!
あんた誰? はいつものことですが、タイトルが行方不明な感じも、ね? うん。本当に。
しかも何がやりたかったのか我ながら謎です。もっと甘くなるはずだったのに、甘さはいつもどおり無糖。残念です。
なにはともあれ、最後まで読んで下さったお嬢様、ありがとうございました。
また次の季節でもお会いできることを祈りつつ。


お題借用先 1989
Black Strawverry 桜花 (2012/05/30)



back / next / yume