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共家〜Share House〜

詐欺師と過ごすお正月

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 洗い終わった浴槽に栓をして浴室を出る。こうしておけば、台所にある給湯器のスイッチを押せばお湯が張れるのだ。冷たい廊下を早足で抜け、リビングの扉を開く。ふわりと香るケチャップの匂い。


「……いい匂い」


 自然と空腹を訴えてお腹が鳴る。


「丁度ええタイミングじゃな。夕飯にするナリ」

「うん」


 二人揃ってリビングのコタツにもぐる。準備のいいことに、既にまーくんがスイッチを入れていてくれたらしくて、ほかほかだ。更にコタツの上に置かれたオムライス。


「まーくんありがとう」

「気にしなさんな」

「ん。ところで、ケチャップはかけてないの?」


 ケチャップ自体はコタツの上に置いてあるのだが、黄色い卵で包まれたオムライスは、真っ白なキャンパスのようにまっさらなまま。


「せっかくじゃし、俺の分は姉ちゃんに書いて貰おうと思ってな」

「私の分は?」

「俺が書くぜよ。何て書いて欲しか?」


 急に訊かれても、とっさには思い浮かばない。


「考え中。まーくんは?」


 先に書こうと問いかけると、まーくんは既に考えていたのだろう。即座に口を開いた。


「『まーくん大好き(はーと)』って書いてくんしゃい」

「……それ、本気?」

「ピヨッ」


 何かさっきやらなかったけ、このやりとり。


「じゃあ、まーくんは『姉ちゃん愛しとる(はーと)』で」

「とんだブラコンシスコン姉弟じゃな」


 自分が言った時には、こう返されることも予想出来ていたのか、まーくんは躊躇いなくオムライスにケチャップのペンを走らせ始めた。


「だね。うちも大概ブラコンシスコンだって自覚してるけど、普通にハートマークだけかな」

「いや。それあんま変わらんじゃろ」

「そうかな?」

「多分な。……っと、出来た。ほら次は姉ちゃんの番じゃ」


 書きあがったまーくんの字は予想外に綺麗だった。“愛”の字とかもっとつぶれると思ってたのに。そしてハートが可愛い。
 これは負けていられないと気合を入れ、ケチャップを握る。そろそろと力を加えて、ゆっくりと文字を書いていく。


「……まー、くん……大好き……ハー、ト。よし!」

「口に出すのはやめんしゃい」


 書き終わった途端に額を小突かれた。さっき注文した時は平然としていたのに、まーくんの基準がどこにあるかわからないや。


「じゃあ冷めないうちに。いただきます」

「おん。いただきます」 


 早速スプーンで一掬い。大きく口を開けて一口。


「……美味しい!」

「よかったダニ」


 私が笑顔で感想を告げると、まーくんはどことなくホッとした様子で頷き、自分の分を食べ始めた。


「そういえば、まーくん初詣どうするの?」

「夜は寒いけぇ、明日の昼に行くつもりじゃ。姉ちゃんは? まさか夜に一人で行ったりはせんよな?」


 まーくんの咎めるような視線に、そんなつもりもなかったのにビクついてしまう。


「ち、違うよ! 私は三が日中に行ければいっか派だから、そんなに急いでないし。むしろ人が減った七日正月中ならもっと後でもいいくらい」


 そんな視線を向けなくとも、私も夜中の寒さ極まる時間に外に出る気は毛頭ない。


「……ほうか」

「そうです」


 しんとした室内に、スプーンが皿にぶつかる音だけが木霊する。それほど気まずさを覚えないのは、変な“ままごと”をして、それなりに距離が近づいているせいかもしれない。




****




 二人とも入浴を済ませ、今は一緒にテレビを見ている。
 紅白を見るか、ガキ使を見るか悩んだあげく、今流れているのは――。


「この歌手今年売れたか?」

「そんな印象はないけどね……」


 と言うわけで紅白。


「もうすぐトリだし、蕎麦の用意しなきゃかな」

「ジャンケンで負けた方が湯を沸かしに行くってのはどうじゃ?」

「じゃ勝った方はパッケージ開けて準備ね?」

「おん。なら、最初はグー。ジャンケン……」


 まーくんの手はチョキ。対する私の手はグーだ。


「行ってらっしゃい」

「はぁ〜。言いだしっぺの法則じゃのう」


 まーくんは渋々といった様子でコタツから抜け、台所へと歩いていった。
 それにしたって、馴染みすぎじゃないだろうか? 躊躇いもなく台所へ向かう姿も、部屋着でくつろぐ姿も、今日初めて会った人間だとは思えない。


「ケトルって便利じゃな」


 数分して、まーくんがケトル片手に戻ってきた。


「ヤカンで沸かすより早いもんね」


 ケトルを受けとり、二人分のカップ麺にお湯を注いでいく。蓋をして時計を見ようとしたらスピーカー越しに鐘の音が響いた。どうやらテレビの画面がゆく年くる年に変わったようだ。
 これを見ると年の瀬を実感する。


「まさか年末をまーくんと過ごすことになるとは思わなかったよ」

「……俺もじゃ。まさか姉貴以外に姉ちゃんが出来るとも思っとらんかったしのう」


 二人一緒に顔を見合わせて笑う。
 三分なんてあっという間。テレビ画面のデジタル時計が食べ時を教えると、揃って蓋を剥いで箸を持った。


「いただきます」

「いただきます」


 まーくんはどうか知らないけれど、私はそんなに食べるのが早い方ではない。十分程度で食べきれるか心配で、後は無言で麺をすすり続けた。隣から音が聞こえなくなって顔を上げると、残り時間はさっきあっという間だと称した三分を切ったところだった。


「ほら急ぎんしゃい」

「むぐむぐ」


 言葉を返す余裕もない。
 ズルズル。もぐもぐ。ズルズル。もぐもぐ。


「残り一分切ったぜよ」


 残った数本の麺を手繰り寄せ、口の中に入れてしまう。ごくんと飲み込んで時計に目をやれば、どうにか新年に食い込まずに済んだらしい。


「ごちそうさまでした」


 箸を置いた途端、まーくんがコタツを出てこちらに向き直った。慌てて私もそれに習う。


「明けましておめでとうさん。本年も……本年は、じゃな。宜しくしてくんしゃい」

「明けましておめでとうございます。こちらこそ、本年はどうぞ宜しくしてください」


 顔を上げて互いに笑う。ふとお風呂洗いをしていた時のことを思い出す。途切れてしまった“だけど”の続き。
 だけど――こんな年末年始も悪くないかなって。そう思ったことを。



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