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イヤホンから溢れ出る世界

vier

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 視線だけを後ろへ投げる。
 跡部の席から縦に三つ、右に二つ数えた席に、銀色の無くなった指を隠すことなく晒しているが座っている。
 あれからほぼ一週間。本人が話したのか、レギュラーの誰かが話したのか、二人が破局したことは既に周知の事実となっていた。それと同時に、跡部がテニス部の後輩マネージャーと想い合っているらしいという噂も。つまりが振られた形だ。
 腫れ物に触るような周囲の反応に対して、跡部から見たは少しも動じた様子はない。


さん、大丈夫?」


 心配する言葉の中に含まれた僅かな棘に気づき、跡部は人知れず舌打ちをしていた。


「まぁ仕方ないよね、相手あの子でしょ? 正直可愛いし」

「そうそう、後輩ってだけでも“可愛い”って要素強いしね〜」


 暗にに対して“可愛くない”と言っているようで、聞いているだけでも跡部は腸が煮えくり返しそうになる。そして、そんな自分の反応にも苛立つのだ。間接的にとはいえ別れを告げ、いまやクラスメイト以上の関係は存在しない。だというのに心は勝手に反応してしまう。
 跡部が己の内心に戸惑っている間にも、そんなことはお構いなしに、彼女たちの会話は続く。


さん何でも出来るし、男子からしたら可愛げとか、そういうの足りなさそうだもんね」

「あぁそんな感じ! 才色兼備って言っても、やっぱ女は愛嬌でしょ!」

「あんた昭和っぽい」

「ひーどーいー!」


 やはりどんなに己を諌めても、聞いていて苛立ちが湧き上がることは否定できそうにもない。
 好き勝手に言われて尚黙っているに対しても、だ。跡部は少し熱くなった頭を冷やすために教室を出た。わざとらしく彼女たちの横を通って。


****


 部活終了後はお気に入りの豹柄ソファで、マネージャーがつけた部誌に目を通すのが、ここ数ヶ月の跡部の日課だった。注目する箇所が自分たちとは違うので、中々面白いのだ。今日もいつも通り部誌を捲っていると、不意に目の前に影が差した。不快に思って顔を上げると、胡散臭い笑みの一切を消し去った忍足が眼前に立ち、跡部を見下ろしている。


「邪魔だ」


 跡部は犬猫を散らすように手を上下に振った。が、忍足が退く気配はない。


「おい――」

「跡部、話があるんや」


 跡部の言葉を遮り、忍足が硬い口調で切り出した。いやに真剣な表情は、先日のコートでの会話を思い起こさせる。ふと部室に視線を巡らせると、忍足が人払いでもしたのか二人以外には誰も居ない。この様子だと聞くまで退かないつもりだろう。仕方あるまい。跡部が視線で促すと、忍足はおもむろに口を開いた。


「姫さんのことや」

「……だろうと思ったぜ」


 開いていた部誌を閉じ、跡部は腰掛けていたソファで脚を組み替える。


「嬢ちゃんのこと好きやから、姫さんと別れたてほんまか?」

「……あぁ」


 本当はきちんと別れすら告げていないが、跡部はあえてそれを無視して頷いた。自分の心変わりで破局。それ自体に間違いはないのだ。相手が後輩マネージャーであることも、今や全校生徒の知るところである。


「嘘やな」

「嘘、だと?」

「あぁ嘘や。自分、姫さん落とした時のこと忘れよったんか?」


 何を指しているのかわからず、跡部は首を傾げる。


「何の話だ?」

「せやから、姫さん落とした時や!」


 忍足の言葉に、一気に熱が篭った。しかし、反比例するように跡部の心は冷めていく。


「今更あの時の気持ちを思い出せとでも言うつもりか?」

「ちゃう! あん時自分で言うたこと、もう忘れてしもたん? ほんまに好きな奴は誰にも渡したない。せやからいち早く自分のもんにするて、そう言うとったやろ? やから協力しろ、て」

「アーン?」


 だいぶ関西訛りが酷くなっているが、確かにそういう類の話はした覚えがある。だがそれが何に繋がるというのか。


「……まだ気づいてへんのかいな。自分が姫さんと別れたて言うてから、何日経った? 一週間やで。一週間」


 話の筋が見えない。
『それがどうした』という気持ちを込めて無言で見つめ返すと、忍足は額に手を当て、大仰に溜息を吐いた。


「あかん。ほんまアホやな自分。つまりや、俺が言いたいんは、ほんまに好きやったらもう行動しとって当然やろ? ってことや! だいたいこの一週間、自分何考えとったん? 俺には嬢ちゃんと居る時でさえ、思考が宙に浮いとったように見えたで?」


 言葉に詰まる。
 忍足の言う通り、跡部はずっと考えていたのだ。の手から消えた指輪の行方と、突然の別れに文句の一つも口にしない自身と、何故かと一緒に居ることが増えたらしい日吉のことを。


「これでほんまにええんか? 逃げてるだけちゃうんか?」

「俺様が……逃げてるだと?」

「せや。ほんまは妬いて欲しかったんやろ? やからわざと嬢ちゃんを可愛がった。気づいとるか? 自分が嬢ちゃんに構うんは、必ず姫さんが近くに居る時だけや。もしほんまに好きや言うんやったら、早う嬢ちゃんと付き合って守ったれ。気づいとらんやろうから教えたるけど、あの子女子からキツう当たられてんで?」


 言いたい事を言い終えたのか、忍足は無言で跡部に背を向けた。跡部は手の中の部誌に皺が寄ることを感じながら、遠ざかって行く背中を視線でジッと追う。すると、テニスバッグを背負った体がドアノブに手をかけたまま、上半身だけ跡部を振り返った。


「言い忘れとったんやけどな、期限は三日やで」


 何の、と問う間もなく、ひょろ長い長身は扉の外へ出て行く。跡部は誰も居ない空間で思い切り舌打ちすると、ソファの背もたれに体を沈めた。
 後輩の被害を耳にして尚、気にかかるのはの存在。


「……三日後っていや、俺様のバースデーじゃねーの」


 期限。それが何を示すものなのかなど、伝えられていないのだから到底わかろうはずもない。ただ一つわかることは、その日が己の誕生日であり、二年前に指輪を渡し、交際を申し込んだ日であるということだけだった。



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