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婚約者からお願いします?

第10話 懺悔を君に

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携帯を持って、座敷を抜けたパッチン部長を見送った私は、一人その場に残された。


「はぁ〜、どうしよう」


気づいてしまったら罪悪感からは逃れられない。当然、迷いも出る。
嘘をつき続けることは果たして正しいのだろうか。

カコン、カコンと鹿威しの落ちる音が機械的に響いてくる。まるで時計だ。進むことも戻ることも決め兼ねている私を嘲笑っているようにも聞こえる。もちろん、ただの被害妄想だろうけど。

ため息を一つこぼすと、鹿威しをBGMに、赤い縮緬巾着の中を漁った。財布の下敷きになっていた折りたたみ式の携帯を取りだし、手の内で数度開閉する。

早く決めなければパッチン部長も帰ってきてしまうだろう。電話帳を開くと、順繰りに名前を送っていく。


あ、か、さ――……ひ。日吉若。


指が止まったのは頼りになる年下の幼馴染の名前。
こんな時に電話しようとする相手が、演技協力してくれた友達じゃなくて若だってのは、何だかなって思う。でも、誰よりも自分に近い兄妹みたいな存在なんだから、これも当然なのかもしれない。


と、急がなきゃ。


若の番号に繋ぐ。数度のコール音が耳元で響く。中々出てはくれない。やっぱりおじいちゃんの面倒見るの大変なのかな……。
諦めて電源ボタンを押そうとした時、


「もしもし」


若の声が受話器から響いた。
緊張からか妙に滲んだ唾液を飲み込むと、そっと耳を押し当てる。


「もし、もし」

「今見合い中じゃないのか?」


訝しげな声。別に悪いことをしているわけではないのに、心臓が痛いくらい激しい鼓動を重ねる。


「若んとこの部長さんは席、外してるから」


それだけ言うと言葉が途切れた。私は切り出し難かったし、若にしても何故私が電話してきたのか分からないからだろう。こちらが切り出すのを待っている感じだ。沈黙が痛い。

鹿威しは、私を急かすように何度も上下して、その涼やかな音を響かせていた。


「あの、さ」


ゴクリ。
思いの外大きく喉が鳴って、一度言葉を止める。


「どうした?」


促してくる若の声は普段と変わらないトーンで、それが私の背中を押した。


「私、失敗しちゃったみたいなんだ」

「失敗? バレたのか?」


聞かれた問いに「ううん」と否の応えをして、私は言葉を続けた。


「あの人。パッチン部長さんさ、若の話聞く限り俺様で、自信家で、人の言葉に傷つけられるほど弱くはないって、思ってた。決め付けてた」

「あぁ。あの人はそんなものに惑わされるような人じゃない」

「そうだね。でもさ、惑わされなくても傷つきはするんだよね、きっと」

「跡部さんが?」

「うん」


熱心な演技指導を受けたのが裏目に出たのか、パッチン部長の感情は、何となく目から読み取れた。正しく傷ついているわけでなくても、嫌な思いはさせてしまったことは確か。それが当初の目的だったのだから、成功と言えば成功だ。だけど、人を傷つける道を平然と選んだ私は果たして正しかったのだろうか?


「あの人は見抜く力もずば抜けて居たが、隠すのも得意だったからな」

「はは、凄い人だね。若騙しちゃうんだもん」


私の隠し事はすぐ見抜くのにと文句を言えば、「お前の隠し事はわかりやすいんだ」と返され、ムッとしつつも少し笑った。


「それで? は演技をやめたいのか?」

「…………うん」


暫しの沈黙の末、私は受話器を耳に当てたまましっかりと頷いた。だが、若の答えは私の背を押すものでは無く、というより、私の歩みをピタリと止めるものだった。


「俺は、最後まで続けるべきだと思う」

「どういう、こと?」

「この計画に賛成した俺が言えた義理じゃないが、ここで投げ出して、素に戻って何になる?」


問われて言葉に詰まった。確かに、今更「実はこれは演技で」と言われてもパッチン部長を困らせるだけだろう。暴露して楽になりたいのは私であって、彼じゃない。


「ははは、ほーんと。私ってば何処までも自分本位だわ」


乾いた笑みをこぼして、携帯をぎゅっと握り締める。


「私が良い子で居たいだけだったんだ。……覆水盆に返らず。こうなったらとことん面倒な子演じて、徹底的に嫌われて、とっとと忘れて貰うに限る! ……よね?」

「フッ、あぁ。気が向いたら出汁巻卵でも焼いておいてやる」

「ん。楽しみにしてる。若の出汁巻卵美味しいもん」


頑張れの代わりに手料理を約束してくれた若に、私の頬はやんわりと緩んだ。艶のある座卓に映りこんだ自分の表情を見て、だらしない顔になってるなと空いている手で頬を軽く抓る。


「じゃあな」

「うん、ありがとね若」


通話を切って、携帯を閉じると縮緬巾着にねじ込んだ。一度目を閉じて、深呼吸。着物の襟をただし、姿勢を正し、鏡代わりに座卓を覗き込む。そこにはニヤリと不敵な笑みを浮かべる私が居た。



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