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婚約者からお願いします?

第11話 襖越しの密話

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鳴り出した電子音を止めるべく、俺は「失礼します」と形だけの断りを入れて席を立ち、女の答えも碌に聞かねぇまま引き手に手をかけ外に出た。

座敷を出るなり無理矢理持ち上げていた口の端と頬の筋肉を緩める。会話を聞かれても面倒だな。そう判断し、廊下の奥へと向かった。

真っ直ぐと伸びた廊下の突き当たりは、大きな一枚のガラスが壁の代わりにはめ込まれ、さながら一枚の絵画のようになっている。

陽射しが注ぐ明るい廊下を歩きながら、取り出した端末の液晶画面を見れば『親父』の文字。発信者名を目にした途端、思わず軽く舌打ちがもれた。同時に、廊下の最奥に辿りつく。


「もしもし?」


声を繕い、いつも以上に鬱陶しい相手用意しやがって、と込み上げてくる苛立ちをグッと堪えた。


「景吾か。今度の相手はどうだ?」


どうも何も最悪だ。ったく変なメス猫と引き合わせやがって……。

どこか自慢気にすら聞こえる親父の声に、口を衝いて出ようとする悪態を無理矢理押さえ込む。俺は遠くなった座敷の襖を睨みながら、薄く唇を開いた。


「……いつもと変わらないように思いますが」


むしろいつもの方がマシだ。そんな、内心で付け足された言葉を知ってか知らずか。いや、明らかに後者だろうが、親父は「おかしいな」と不思議そうにもらした。


「おかしい、ですか?」

「あぁ。少なくとも私は気に入っている。私の目に狂いがあると思うか、景吾?」


反論の余地なんてねぇ問いかけに、俺は口を閉ざして黙した。

相手は親父である前に、巨大な跡部財閥という組織のトップを務める男だ。人を見る目がないはずもねぇ。が、だとすると俺が見た女をどう判断すりゃいい?


人の顔色を伺う態度も、自信なさ気な喋り方も、少なくとも俺や親父が好むタイプじゃねぇし、「気に入っている」という言葉にあてはまるとも思えねぇ。

それ以上に、テニスを冒涜するような発言。
チッ、思い出しても苛々しやがる。

大きな取引相手にという名があった覚えはないし、少なくとも家にとって利があるからという意味でもないのだろうが――。


「……いえ。わかりました。もう少し様子を見て判断します」


まぁいい。何にせよ、最終的に断れば問題ねぇんだからな。俺の発言を聞いた親父は、満足気に相槌を寄越して切りやがった。

あまり待たせるわけにもいかねぇ……か。

億劫な気持ちに蓋をして、座敷に向かって歩き出す。たった十数メートルの距離が長く感じた。一歩一歩と歩みを重ね、襖の前に立つ。引き手に手をかけ、出たとき同様に開こうとした瞬間。中から声が聞こえることに気付いた。


誰か居るのか?


中からもれる声にそんな考えが脳裏を過ぎったが、聞こえてくるのは聞き覚えのある女の声だけだ。ということは電話か何かなのだろう。

盗み聞きなんざ趣味じゃねぇ……が、入れる雰囲気でもねぇか。

引き手に手をかけたままタイミングを計っていると、先程まで聞いていたものと、およそ同じものだとは思えないほどしっかりとした声音が、襖越しに響いた。


「そうだね。でもさ、惑わされなくても傷つきはするんだよね、きっと」


内容は、よくわからねぇ。ただ、明らかに俺の知ってる女とは声質が違う。

どういうことだ?

頭をもたげた疑問を胸に、息を殺して耳を澄ます。


「うん」

「はは、凄い人だね。若騙しちゃうんだもん」


騙す? いや、それよりも『わかし』だと?

珍しい名だ。そうそう居るとは思えねぇ。脳裏に浮かぶのは生意気な後輩の姿。
とは言え、別人の可能性もある。聞き間違いの可能性も。


「…………うん」

「どういう、こと?」


俺が途切れる声に滲む戸惑いに首を傾けていると、不意に乾いた笑い声が耳をついた。


「ははは、ほーんと。私ってば何処までも自分本位だわ」

「私が良い子で居たいだけだったんだ。……覆水盆に返らず。こうなったらとことん面倒な子演じて、徹底的に嫌われて、とっとと忘れて貰うに限る! ……よね?」


演技?


自嘲的な言葉と同時に伝わる事実に、酷く苦々しい気持ちがこみ上げる。

つまり俺は見抜けなかったとでも言うのかよ、アーン?

……いや、ちげーな。
俺は女を真正面から見てなかったのだ。

言葉の端と端を組み合わせてみれば、どうやら女は演技をしたことを後悔し、それでも続けようとしているらしい。女の意図は良くわからねぇ。


――が、


「おもしれぇじゃねーの」


俺は誰にともなく呟くと、中で会話が終わったのを確かめ、引き手にかけた指に力を込めた。



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