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パッチン部長の訪問を見事に切り抜けた数日後。
私はどうしてこうなった、と頭を抱えてバカデカイ建物を前に途方に暮れていた。
バカデカイ建物。すなわち氷帝学園の校門である。
本日の装備。
防具――私服。黒のチュニックに、動きやすいスキニーデニム。
武器――素手。もしくは足。
アイテム――弁当。もちろん手作り。……もっとも、作ったのは私じゃないけど。
さらに言えばこの弁当こそが、私が今現在ここに居る理由だったりする。
ことはそう、商店街で若ママと偶然遭遇したことに始まった。
「あれ、若ママ?」
「あらちゃん」
着物姿の若ママは、いつにも増して美しい。
「今日何かあるんですか?」
「えぇ、茶会にお呼ばれしてるの。そうだ! ちゃん今時間あるかしら?」
「はい。特に予定はないですけど」
私の答えに若ママの目がキラリと煌いた。
「悪いんだけどこれ、若に届けてあげてくれないかしら? あの子練習試合があるって言ってたのに忘れて行っちゃって」
にこりと笑顔で頼まれれば嫌とは言えない。
ちっちゃい時に両親を亡くした私を昔っから何かと気遣ってくれるこの人には、からっきし頭が上がらないのだ。
それに、休日ならまさかパッチン部長と会うことも無いだろうしね。
****
というわけで、予定のある若ママに代わって私が若のお弁当を届けに来たってわけ。
うちの学校も私立だし、それなりに大きいとは思ってたけれど……これはもう別世界だ。
って、いつまでも校門に突っ立って、ぼけっと校舎を眺めているのもあまりにも間抜けすぎる。
気を取り直して一歩踏み出す。幸いにも校門に守衛さんは居ないらしい。誰にも止められることなく、私は氷帝学園への侵入を成功させた。
「テニスコートは……っと」
何だこの広さ。目的地が一向に見つからない。
早くしないと昼になってしまうではないか!
「あ〜もう……あ! 若に連絡入れれば……いや、流石に練習試合中に携帯を携帯してるわけないか」
携帯を携帯とか、我ながらややこしいな。
しっかし、どうしよう……。
校舎と校舎の間という、正直どうしようもない場所を彷徨い歩きながら、頭を抱える。もういっそ引き返してしまおうかという残念な思考を始めた時、可愛らしい声で呼び止められた。
「あの!」
「ん?」
「様ではありませんか?」
振り返りざまに様付けで呼ばれ、思わず言葉に詰まる。誰かと思えば、いつぞやのお嬢さんではあーりませんか。
「あの時の……」
「はい。あの時助けて頂いた西園寺椿です。きちんとしたお礼もせずに申し訳ありません」
深々と頭を下げられギョッとした。
「いやいやいや、あれは私が何もしなくて良いって言ったんだし!」
そう、実は彼女を送った時にそういう申し入れがあったのだ。けれど、それを丁重に断ってしまったのは私。なのに頭を下げられると困ってしまう。
「ですけど」
「あ! じゃ、じゃあ、お礼の代わりにテニスコートまで案内して貰えないかな?」
「……テニスコート、ですか?」
今の今まで柔らかな対応をしてくれていたお嬢……いや、西園寺さんの表情が強張ったのがわかった。なんというか、パッチン部長が表情を変えた時と似ている。
もしかして何か誤解をさせてしまったのかもしれない。と、私は慌てて言葉を紡いだ。
「うん。実はね、テニス部に知り合いが居るんだけど、どうやらお弁当忘れて行っちゃったらしくて、偶然会った彼のお母さんに持っていくように頼まれちゃったんだよね……」
持っていた風呂敷に包まれた弁当箱を目の前に掲げるも、西園寺さんの表情は硬いままだ。
「あ〜、あれだったら西園寺さんから渡して貰っても構わないんだけど」
何だか居た堪れない。
弁当箱を西園寺さんの方に差し出して苦笑すると、ようやく西園寺さんの表情が動いた。彼女の柳眉が、困ったようにへにゃりと下げられる。
「失礼な態度を取ってしまって申し訳ありません。我が校のテニス部には外部にもファンの方が多くて……その……」
「あ、ううん。別に構わないよ。私も自分がそうじゃないなんて証明する物持ってないしね? んじゃあ、これはやっぱり西園寺さんから渡してあげてくれるかな? お昼抜きはやっぱり困るだろうからさ」
若も言ってたもんね、ミーハーがどうのこうの。まぁあれは校内のファンの話だった気もするけど。親の権力が云々って。
「……はい。ところでどなたに?」
「えーと、わ――」
「何をしている?」
肩越しに私の言葉を遮ったその声は、聞き覚えのある低音ボイス。休日だから会うことはないと思っていたのはどうやら間違いだったらしい。
やっぱりこれ、振り返らなきゃダメだよね?