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婚約者からお願いします?

第17話 開幕までのカウントダウン

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「鞠花って誰さ」

「人の顔見て、開口一番がそれか?」

「あ。おかえりの方がよかった?」

「いや『お邪魔してます』辺りが妥当だな」


このやりとりで分かると思うけど、私の現在地は若の家。もう少し詳しく説明すれば若の部屋。さらに細かく言えば、若のベッドの上に寝転がって、最新号のテニス雑誌を捲っている。
若にお弁当を届けた後、しばらく街をうろついてから日吉家に来たという寸法だ。


「お前はもう少し恥じらいとか、遠慮とか持てよ」

「私と若の仲じゃない」

「親しき仲にも礼儀ありって言葉を知らないのか?」

「知らな〜い」


若がテニスバッグを部屋の隅に置き、ブレザーを脱いでハンガーに掛けたのを合図に私は寝返りを打って若に背を向ける。
背後から聞こえる衣擦れの音に、逆ならドキドキイベントかもしれないのになと考えて「いや」とそれを打ち消す。私ごときの着替えで若がドキドキするとか――ないな。


「ねぇ、若」

「何だ?」

「咄嗟に気を利かせてくれたんだろうけどさ、これって余計にややこしい状況になっちゃってたり……しない?」


答えの代わりに返ってきたのは無言――プラス、カチャカチャというベルトを締める音。どうやら着替えが終わったらしい。


「若ってば、無言はないんじゃない?」


再度寝返りを打って若の方を向けば、私服に着替えた若が微妙に決まり悪げな顔して立っていた。


「……確かに。跡部さんも――いや、鞠花に興味を持ったみたいだったし、な。お前跡部さんと何話したんだ?」

「何って、割と普通のことしか話してないと思う。しいて言えば、この前私を捜しに来た時に話したことを何で言わないのかとか何とか」


おぼろげな記憶を辿るも、やはりこれといったことは話していない。


「待て。それは聞いてない」

「そうだっけ?」


疲れたような表情で頷かれれば、ちょっと罰が悪い。
ひょいと上体を起こして雑誌を閉じる。さて、どこから話そうか。


「えーと、パッチン部長がこの前うちの学校に来て、私のこと人に聞いて捜してたわけ。で、クラスメイトの男子に声をかけた時に『あ、やばい』と思って咄嗟に間に入って、『はテニスコートに方に行ったよ』的なことを言ったわけ。だってさ、学校での私って化粧なんて全くしてないし、見合いの時のが作り物だって嫌でもわかるじゃない? だからさ」


もういっそあの時ネタばらししてた方が良かったかな? と言えば、若は微妙に顔を顰めた。


「……で、今日は何話したんだ?」

「何だろう? えーと確か、何でその時のことに触れないのか、ってことだった気がする。だから、必要ないからって答えたような?」


正直会話なんて逐一覚えちゃいない。
数度左右に首を傾げていたら、若に溜息をつかれた。


、前に氷帝のミーハーについて話しただろ?」

「うん。聞いたね」

「あいつらは他の女が近づかないように親の権力で牽制したりもする。つまり、氷帝自体にまともな奴が居ても、跡部さんの周りには中々近づかないんだよ」

「つまり?」

「普通の奴が跡部さんにとっては珍しいってことだ」

「それって……」

「興味を引くには十分だったな」


普通の人の普通の反応が、まさか興味の対象になるなんて誰が思うだろうか?
というか、それこそ氷帝に居るファンの子たちは何故それに気づかなかったんだろう? 若ですら気付いたのに。
アタックするのに夢中で、押してだめなら引いてみろ的な作戦は思いつかなかったのかもしれないが、誰か一人くらい気付いてもよさそうなものじゃない?
何だか頭が痛くなってきた。
近くにあった若の枕を引き寄せて、クッション代わりに抱き込む。


「……なんかさ、」


一度言葉を切って、小さく息をつく。


「思ってたのと違う」

「何がだ?」

「パッチン部長」


若の顔を見れば、少し驚いたように目を丸めて私を見下ろしている。というか、いつまで突っ立ってるつもりなんだろうか。
私は自分の隣をぽふぽふと叩いて若に座るように促す。若はすぐさま表情を驚きから呆れに変えて「お前も少しは警戒心くらい持て」ぼやいた。が、それでも言うとおりにベッドに腰を下ろした。
ギシッとスプリングが鳴って、マッドレスが沈む。
けれど若が座った場所は私が指定した場所より少し遠い。私は数十センチあった隔たりを埋めるように若に寄って座りなおし、若の肩に自分の頭を乗せた。頬にじんわりと伝わる熱が心地いい。


?」


戸惑いを含んだ声に答えず、私はそっと目を閉じた。


「あのね、今日も話してて、最初はどんだけ警戒心強いんだよコイツって思ったんだけどさ、途中から……私がパッチン部長に必要以上に近づこうとしないだけで警戒解いちゃってさ、今度は大丈夫かな? って心配しちゃったりして。お見合いの時も若に言ったけどさ、イメージと違うんだよね……俺様で自信家ってのは確かなんだろうけど、なんかカッコイイとかって言うより可愛いような気もするし……うまく言えないんだけど」


少しだけ、ほんの少しだけ、あの人のことを知りたいと思う自分が居る。興味を持ってしまった自分が居る。


「あの人を可愛いと称する人間には初めて会ったな」

「……そう?」

「あぁ。それより


名前を呼ばれ、目を開けて顔を上げる。


「何?」

「パッチン部長というイメージはわかるが、部長はもう俺だ」


そう言えば、と頷く。
ならばどう呼ぶべきだろうか。


「元パッチン部長?」


とりあえず便利な『元』をくっつけてみたが、どうにもしっくりこない。


「普通に跡部さんでいいだろ」

「……ごもっとも」


苦笑いで返事をして、抱きかかえたままの枕に顔を埋める。
閉ざされた視界に浮かんでくるのは、どこまでも気高いアイスブルーだった。



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