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婚約者からお願いします?

第18話 貴方を知る人たち

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誰もいない教室を独占するのは、私の密やかな楽しみだったりする。
今日も今日とて一番乗り。
教室の窓を全て開けて空気を入れ替えながら、はためくカーテンを横目に持ってきた本を開く。
気分よく本のページを五枚ほど捲った頃、事件は起きた。


さん」


いつもよりも早く終わってしまった寛ぎタイムに内心溜息を落とし、本に栞を挟んでそっと閉じた。
柔和な声に振り返ると、そこにはこれまた柔和な笑みを浮かべたクラスメイトが立っていた。
不二周助。言わずと知れた男テニレギュラーだ。
この間の大会で全国優勝してからというもの、今まで以上に騒がれているというその人。
クラスメイトだし、会話が全くの皆無ではないとはいえ、中々話す機会もない相手なのだけど……。一体何の用だろう?
しかも良く見れば、不二の後ろには同じくクラスメイトである菊丸英二も立っている。


「えーっと、何かな?」


仮にも引退しているのだから、朝から部活があったわけでもないだろうし、私に用事があって早く来た……で間違いないとは思うんだけど。


「ふふ、驚かせてごめんね? 実は金曜の放課後に跡部に会ってね」

「あとべ?」


誰ですか? という雰囲気を装って首を傾げてみたが逆効果だったらしい。
今まで黙っていた菊丸が、不二の後ろから出てきた。チッチッチと目の前で指を揺らし、ニイッと口の端を吊り上げた。


「またまたとぼけちゃって〜。ちゃんはさぁ、アトベーの婚約者なんでしょ?」

「人違いじゃ――」

……なんて同姓同名がこの学校に居ればそうだろうけど、たぶん居ないんじゃないかな?」


否定の言葉はあっさりと遮られる。不二の笑みに思わず背筋がゾクっとしたのは気のせいだろうか。もしかすると窓を開け放したままにしてたせいで少し体が冷えたのかもしれない。
制服の上から両腕をそっと擦り上げ、口を閉ざしたまま二人を見比べる。
どうやら相手は引く気がないようだ。
教室の壁掛け時計は、人が来る時間が差し迫っていることを教えている。


「……そうだよ。それがどうかしたの?」


正直言えば、まだその話は続いていたのかとか、やはりその話はそのままなのかとか、相反する感想が脳内を巡っていたが、それを外に出す気はない。
諦めにも似た気持ちで頷けば、二人は顔を見合わせて首を傾げていた。


「変な騒ぎになりたくないから隠してるのかと思ったけど」

ちゃん、アトベーとの婚約嫌なのかにゃ?」


そんな意外そうな顔されましても、ってなもんだ。


「逆に聞きたいんだけど、二人はこの年で婚約者とか嫌じゃない?」


私を含め、跡部さんにしてもコイツらにしても結構忘れてしまいそうになるが未だ中学生。今から生涯のパートナーを決めてしまうなんて無謀だろう。
暗にそう言ってみる。
当然ながら同意が返ってくると思っていたが、それは間違いだったようだ。


「僕は別に嫌じゃない、かな。人を好きになるのに年齢は関係ないと思うし、生涯のパートナーに出会うのが妙齢になってからなんて限らないと思うよ」

「そうそ。年とかで視野狭めてたらもったいないんじゃにゃい?」


二人の言い分に少し驚いた。
確かにそうだな、と思わされたから。
だけど――。


「う……そりゃ、相手のことが好きならそうだろうけど。私たちは親の都合であって、別にお互い好きとかそういう気持ちはないから」


もっとも、私の場合は祖父の都合であるわけだが、それはあえて訂正すつ必要はないだろう。いきなり身の上話とかヘビー過ぎる。


さんの言うことは確かだけど、避けちゃうのは違うんじゃないかな?」

「……なんで」


知ってるんだろう。
ギョッとして不二の顔を凝視すると、苦笑で返された。


「当たりなんだ?」

「え、鎌かけたの?」


どうにも不二に口で勝てる気はしない。菊丸から「気の毒に」とでも言いたげな視線を受け、少々苛立ったが、今は不二だ。


「違うっていうのは?」

さんは跡部のこと好きじゃないから、婚約は嫌だって言ったよね?」


確認を求められ、おとなしく首肯する。


「けどさ、一度でも相手を好きになる努力はしたの? 少なくとも跡部は君のこと知ろうとしてる」


不二の言いたいことはわかった。
私は少し顔を俯けて自分の上履きに視線を落とす。素直に頷きたいのに、どうしても腑に落ちないのだ。
私が恋をしたことがないせいだろうか。


「恋って、好きになるって、努力してするものなの?」


だって言うじゃない?
恋はするんじゃない。落ちるんだって。


「ん〜別に努力から始まる恋があっても不思議じゃないんじゃない? いろんな始まりがあっていいと思うし、好きになるきっかけなんて、どこに転がってるかわからないものだろうし。まずは相手を知るって、決しておかしくないと思うよ?」


噛んで含めるように言われて、私は黙る。
代わりに口を開いたのは菊丸だった。


ちゃんはさ、アトベー嫌い?」


視界の端でカーテンが揺れる。


「嫌い……じゃ、ないよ」

「ならさ、不二が言ったように、まずはアトベーのこと知ってみたら良いんじゃにゃい? それでも好きになれなかった時は、婚約解消に協力してあげるよん!」


そう言って菊丸はガシガシと遠慮の欠片もなく私の頭を撫でまわす。いつもは子供っぽいと思っていた笑顔は、どこか大人びて見えた。知るってこういうことなんだろうか。


「僕も、その時は協力するよ。興味本位で突っついちゃったしね? でも、跡部はクセはあるけど悪い奴じゃないから、きっと必要ないだろうけど」


敵に回すには一難ある不二だけど、味方ならば心強い。
けれど、ふと疑問が沸いた。


「ねぇ、それで私が跡部さんを好きになったとして、跡部さんが私を好きになってくれなかったらどうするの?」

「ん? その時は――」


不二が言葉を区切ると、二人は顔を見合わせて同時に私に向かってこう言った。


「慰めてあげるよ」

「慰めてあげるよん!」


満面の笑みを浮かべて告げられた言葉。なんだか背中を押された気がして、気付いたら私も笑っていた。
顔見知り程度のクラスメイトとこんな話をすることになるとは思わなかった。なら、今は好きになるかわからなくても、もしかすると跡部さんを好きになる日もくるのかもしれない。
そう思って、私は二人に「その時はよろしく」と伝えた。



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