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婚約者からお願いします?

第19話 Cafe Andersenへようこそ!(前編)

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知らなきゃ、とは思ってもそんな機会が早々訪れるはずもなく、私は少々途方にくれていた。
素で会った私は、跡部さんに「茶倉鞠花」と偽名を名乗ったわけで、今更「」だなんて、どの面下げて名乗れるだろう。
だからと言って「茶倉鞠花」として跡部さんに会いに行くというのも、ちょっと憚られる。


「う〜ん……」

「考え事しながら歩くと転ぶぞ?」


隣から声をかけられ顔を上げた拍子に、自分の足に引っかかった。
あ。と思う間もなく体が傾く。が、地面へと接触する前に若に腕を掴まれ、難を逃れる。


「言わんこっちゃない」


人通りの多い通りで地面にダイビング、なんて趣味じゃないから助かったのは確かなんだけど、何だか釈然としない。


「考え事してたからじゃなくて、若が急に話しかけてくるから……」

「今から話しかけます、なんて事前に言うわけないだろう」


御説ごもっとも。


「いいから、行くぞ」


言い返せずに私が黙ると、若はもう一度嘆息して私の腕を軽く引いた。
流石に道のど真ん中で立ち止まるのも迷惑だろう。私も促されるまま足を動かした、まさにその瞬間。


「日吉?」

様?」


背後から二人同時に呼び止められた。
若を呼んだのが誰かは不明だけれど、私なんぞを様付けて呼ぶ人物の心当たりは一つしかない。
若と二人、顔を見合わせて振り返る。


「……鳳」

「西園寺さん」


そこには銀髪長身の美少年と、栗茶色のゆるふわロングヘアーを風に靡かせた美少女が連れ立っていた。
美男美女カップルってこういう感じなんだろうな、と思わず感心してしまうほどにしっくりとくる。
西園寺さんが可愛いことは既知の事実だったけど、美少年が加わることで破壊力が増していた。
私と若を見比べ、西園寺さんは何かに気づいた様子で唐突に口を開いた。


「もしかして……」


何だろうと首を傾げると、西園寺さんが瞳を輝かせて微笑んだ。


「日吉さんと様はおつき合いされて――」

「ない」

「ません」


昔から良く勘違いされていたので、慣れたもの。答えるタイミングもほぼ同時だ。


「そうなんですか? 先日のお弁当の件は、日吉さんのものかと思ったのですが……」

「それは合ってるよ」


ね? と若に同意を求める。若は渋面を浮かべながらも頷いた。


「それより、いつまで往来で喋ってるつもりだ?」

「あ、良かったら一緒にお茶でもしない? 二人はまだ話足りないみたいだしね?」


今すぐにでも立ち去りたい。そんな気持ちがにじみ出ている若を止めたのは、THE王子様スマイルを浮かべた銀髪くん。


「そうですわね! 近くにお勧めの喫茶店がございますの」


銀髪くんの提案に、西園寺さんは乗り気のようだ。が、チラッと若の横顔を盗み見れば、お世辞にも歓迎ムードとは言い難い。
銀髪くんも気づいたらしく、「えっと、予定あったりしたかな?」と若に問いかけていた。その様子が主人に叱られた犬のように見えてしまったのは、私の気のせいだと思いたい。
しかし、銀髪くん……犬耳しっぽに違和感がないな。体格は良いはずなのに不思議だ。


「若、せっかくだし行きたいな」


このままでは些か銀髪くんが不憫に思えて、気づくとそう口を衝いて出ていた。


「……はぁ。行くぞ」


否定しないってことは了承ってこと。
未だ事態を呑み込めていない二人に笑みを見せれば、ようやく理解に至ったらしく、二人は素敵な笑顔を見せてくれた。


****


西園寺さんお勧めの喫茶店は大通りから一歩逸れた路地の奥にあった。店内は落ち着いた雰囲気で、正直なところ、私は場違い感を覚えずにはいられなかった。鼻先をくすぐるコーヒーの香ばしい薫りも、耳をくすぐるピアノの音色も、店内を彩るアンティーク調の小物たちも、どこか大人びていて、とても中学生が来るような店とは思えなかったのだ。
だというのに……。
私以外の面子は、全くと言っていいほど違和感がない。
何? みんなして年齢サバ読んでるんじゃないの? と一人打ちひしがれていると、人の気配が近づいてきた。


「何に致しましょう?」


店内の雰囲気と馴染む落ち着いた声。二十代後半くらいだろうか。何だか綺麗な人だ。店内を見渡しても彼以外店員らしき人も居ないし、彼がオーナーさんなのだろう。
しかし注文も何もメニューすら貰ってないんだけど、なんて私の気持ちなど誰にも伝わるはずなどなく、


「そうですわね……私はコピ・ルアックをお願いしますわ」

「ん〜じゃあ俺はジャクーで」

「……エスプレッソ」


――てな具合でメニューもないのに、みんなしてスラスラ注文しはじめてしまった。それにしても聞いたことのない名前が三分の二とか怖いんだけど……。
聞き慣れない名前ばかりで不安に駆られるが、それでも若の注文したエスプレッソなら何とか聞いたことがある。確か苦いやつ。
一瞬だけ「厨二病?」と思ってしまったのは、ここだけの秘密だ。
しかしどうしたものか。
普段チェーン店の喫茶店ですらあまり足を運ぶ機会はない。そんな私にコーヒーの種類なんてわかろうはずもなく、途方に暮れる。
あまり待たせるわけにもいかない、か。
いつの間にか向けられていた四対の視線に押されるようにして、私は無い知識を絞り、なんとか飲めるものを確保しようと尽力した。


「す、すみません。あの……カフェモカ、とかありますか?」


自慢じゃないが苦いのは苦手だ。
私がこういう店に慣れていないのを感じ取ったのだろう。オーナーさんは安心させるように微笑んで、大きく頷いてくれた。


「では少々お待ちくださいませ」


パタンと注文用紙を挟んだバインダーを閉じて頭を下げると、オーナーさんは颯爽とカウンターの中へと戻っていった。
何となく肩から力が抜ける。


「そうだ。まだ自己紹介が済んでませんでしたね、俺は氷帝学園二年、鳳長太郎と言います」


爽やかな笑顔つきで名乗ってくれた銀髪くん――もとい鳳くんに、西園寺さんが続く。


「同じく氷帝学園二年、西園寺椿ですわ。長太郎とは幼馴染みですの。様には以前危ないところを助けて頂きました」

「……氷帝学園二年、日吉若」


改めて名乗る必要もないだろうと言いたげな若に、お前はどこの芸能人だと突っ込みたくなったけど、あえてスルーすべきだろう。


「青春学園三年、です。若とは幼馴染で、西園寺さんとは……ま、そんな感じ。出来れば様付けは無しの方向希望です」


精一杯の笑顔でお願いするも、それは出来ませんわと素気なく断られてしまった。一般人が様付けで呼ばれるのは、とてつもなく恥ずかしいんだけど、私とて美少女に「恩人というのもありますけれど、様のこと、尊敬しておりますもの」なんて頬を染めて言われたら、もうぐうの音も出ない。


「そう言えば様、あの後どうなりましたの?」


今日の朝は何を召し上がりましたの? とでも聞くように、ナチュラルに切り出され、私の脳内はクエスチョンマークが乱舞した。


「跡部様とご一緒に職員室へ行かれましたでしょう?」

「え、跡部さんと?」


西園寺さんの言葉に驚いた様子で、鳳くんが私を凝視している。
そんなに変なのだろうか? 何だかよく分からないが傷つく。


「あの後は、職員室に行く前に若が現れて問題解決……したんだけど、ね」


急な遭遇に驚いて忘れていたが、そのことで私は悩んでたんだった。どんだけ鳥頭なのさ自分。少しばかり自分の頭の作りに疑問を持ったのも束の間、テーブルの上に投げ出していた両手を、真正面に座る西園寺さんにぎゅっと握り込まれた。
何これ萌える……じゃなくて。


「西園寺さん?」

「悩みがあるなら話してくださいませんか? 私、様のお役に立ちたいですわ」


強い意志を伺わせる視線。


「俺も……力になれるかは、わかりませんけど」


鳳くんに関しては、私を心配していると言うより、私を心配している西園寺さんを心配しているらしい。それがちょっと可愛くて、頬が緩んだ。
若は……何も言わない。それは無関心からくるものじゃなくて、言いたければどれだけでも聞くし、言いたくないなら問い詰めはしないという私の気持ちを尊重してくれている無言だ。
西園寺さんは少なくとも跡部さんのファンというわけでもないだろう。ならば、相談してみてもいいのかもしれない。
私がなけなしの決意を固めると、ふっとコーヒーの薫りが濃くなった。顔を上げれば、オーナーさんが四人分のコーヒーをトレイに乗せて、ゆっくりとこちらに近づいていた。



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