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婚約者からお願いします?

第20話 Cafe Andersenへようこそ!(後編)

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「――ということがあってね、どうしたものかと」


一通りの説明を終え、すっかり乾いてしまった喉に、甘苦いカフェモカを流し込む。
熱の棘が抜け、少し温くなった液体が喉を優しく撫でていく。


「そうですか、様は跡部様の婚約者でいらしたんですね」

「と言っても、まだ断りが来てないからっていう仮の婚約者なんだけどね」

「いつもはすぐに断ってしまうと聞きますのに……」


マグを置き、苦笑で返すと高円寺さんは少し残念そうに俯いた。


「もしかして跡部さんのことが……」

「違いますわ! せっかく私にも兄がおりますので、うちにお嫁に来て頂きたかったのにな……と。そうすれば様が私の義姉様になったものをと考えると、先を越されたようで残念で」


特別何をしたわけでもないのに、何故こんなに慕われているのか不思議だけど、そう言ってもらえると嬉しいのも本当だ。
しかしながら、十人並みの私を紹介される高円寺さんのお兄さんが気の毒だと思う。
やはり彼女がこれだけ美少女なのだから、お兄さんも大なり小なり顔立ちは整っているだろうし、そうでなくてもこれだけの美少女を毎日見ていれば目も肥える。これで高円寺さんの性格が悪ければ違うだろうが、目の前の美少女は性格も花丸な素敵レディ。
ってことは顔が良い奴は信用できない、なんてことは言わないだろうから、やはり可愛いに越したことはないのだろう。
跡部さんも身近にこんな素敵な女の子が居るんだから、婚約なんてとっとと解消してしまえばいいのに。
今回に限ってってことは、今までとは何か違うのかな?
そこまで考えて、何故婚約が続行したままなのか気にかかった。我が家は言うまでもなく名家とは程遠い一般市民。なのに何故私にそのような話が舞い込んだのだろう。
今の今まで気づいていなかったが、これはおかしい。


?」


黙り込んだ私の顔を、隣に座っていた若にのぞきこまれた。意外にも近い距離に慌てて身を引く。


「ねぇ、これまで跡部さんとお見合いした人って、みどんな人なの?」


私の質問に答えてくれたのは鳳くんだった。


「確か資産家の令嬢や社長令嬢、政治家のお嬢様に外国の貴族……って感じだったと思いますよ?」


どういうことなんだろう。


「若、私ってどっかの令嬢でも貴族でもないよね?」

「……そうだな」


私の疑問に三人とも気づいたらしい。


「気になるなら聞きに伺えば宜しいのですわ!」


高円寺さんの言葉に私は首を傾げる。
ピンと来ていない私とは違い、どうやら何かを察したらしい若と鳳くんは頬を引き攣らせてしまった。
私も殊更鈍いわけではない。
つまり高円寺さんの提案は、あまり楽しいことではないのだろう。


「つまり?」


真っ直ぐに私を見据えている高円寺さんと視線を合わせ、具体的な内容を引き出しにかかる。


「簡単なことですわ、跡部様のご自宅にお邪魔してこの縁組みを提案した方に伺いますのよ」


私の学校にすら、一部の生徒に限られているとはいえ噂が伝わってきているあのアトベッキンガム宮殿に乗り込め、と。
確かにそれが一番手っ取り早い来もする。
少し腰は引けるが、理由を聞いておくべきだろうと思う。もしもこの先、私が跡部さんを好きになったとしても、心のどこかに引っかかったままになるのは必至。違うな。私は怖いのだ。
それらしい言い訳を並べてみても結局はそれ。
もしも、何らかの手違いや勘違いで結ばれた縁だとしたら、好きになったとしても引き離されてしまうかもしれない。それが怖い。
幼い頃に両親を亡くし、大切な人が居なくなるという経験をしたせいか、私は自分の傍から大事な人が離れていくのを殊の外恐れている。
初恋すらまだな原因も、きっとここにあるんだと思う。もちろん大切な人が居ないわけではない。
おじいちゃんも、若も、私にとってはとても大事な存在。けど、もう気づいてる。彼らを大事だと、大切だという思いを抱いたのは両親が存命していた頃から。つまり、新たに作ることは未だ出来ずにいるのだ。
このまま生きていくのは寂しいことなんだろう。だから、いつかは変わらなければならないとわかっていたのだ。


「……私、行ってくるよ」


自分でも驚くほど硬い声が出た。気づけば喉がカラカラに干上がっている。気管支が張り合わされたように感じた程だ。
残り少なくなったマグの中身を傾け、テーブルに戻す。カタンと静かな店内に響いた音は、投石のごとく静かに広がり消えていった。



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