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婚約者からお願いします?

第22話 狭間と前進

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「跡部さん」


階段ですれ違った日吉に呼び止められた。足を止め振り返ると、数段下からこちらを見上げてくる視線と目が合った。
この間とは逆のシチュエーションだな……と、場所こそ違うが見合い直後のことが脳裏を過ぎる。
青学に行った日、コイツとが繋がっているかもしれねぇと思ったことも。そして……。


「跡部さん?」

「あぁ、悪い。何だ?」

「……いえ、今日の指導のことですが」


日吉は何かを探るような目をして口を開いた。
もしや何か相談があるのか?
俺は部を任せられると踏んでコイツに部長を任せたが、一部の奴らがいまだに納得していないことは風の噂で聞いている。それについて、何故か日吉ではなく鳳がひどく沈みながら報告してのも記憶に新しい。
日吉自身が気にしていないようだったから放っておいたが、任命責任という言葉もある。相談くらい乗ってやるべきだろう。
と言ってもこんな人目のある場所で訊いても……答えやしねぇだろうがな。


「何だ?」

「元レギュラーと現レギュラーで試合をしませんか」


挑むような視線。
その瞳には濁りも曇りもなかった。どう見ても、悩んでいたり落ち込んでいたりする奴のそれではない。
どうやら俺の早とちりだったようだな。
挑まれた勝負は受けてやるのが礼儀だろう。
なんて言ってみても、簡単に周りに潰されてしまわなかったことが、単に嬉しかっただけかもしれねぇがな。自然とつり上がる己の口角がらしくなくて、唇には笑みの代わりに挑発を乗せた。


「わかった。三年には話しを通しておく。今の準レギュにも声をかけておけ。せっかくだ、まとめて面倒見てやろうじゃねぇか、アーン?」


日吉は俺の言葉に頭を下げながら、「下克上だ」と小さくもらし、残りの階段を駆け下りて行った。
あの口癖は相変わらずらしい。踊り場を曲がり消えていった日吉の背を見送り、俺も残りの階段を登りはじめた。




****




昼休みがもうすぐ終わってしまうという微妙な時間に、そのメールは来た。


《今日なら跡部さんの帰宅は遅いはずだ》


用件以外書かれていない簡素な文面が若らしい。
それにしても、今日……か。
近いうちにこの日が来るってことは、喫茶店で話していた時から覚悟していた。そのつもりで、あの二人と別れる前に「じゃあ三人の内誰でもいいから、跡部さんを確実に足止め出来たら連絡くれないかな?」なんて無茶を承知でお願いしたのだから。
で、一番乗りが若……と。
鳳くんはともかく氷帝訪問時の様子を見る限り、西園寺さんと跡部さんの接点はほとんど無さそうだったし、鳳くんは嘘とか誘導とか苦手っぽかった。
こう……、何て言うか、良い人オーラが出てる感じ。
そう考えてみれば、この結果は妥当なところかもしれない。
ん? 待って。
そこまで考えて頭を抱えた。
少し考えれば、あの二人にお願いする必要なかったんじゃない? てことは無用な迷惑と精神的負担をかけちゃっただけってことなんじゃ……。
二人があんまりにも優しい雰囲気を持ってたから、つい甘えてしまった。
自己嫌悪で携帯を片手に机に突っ伏すと、唐突に手のひらに振動が走った。


「んん?」


またメールか、と受信ボックスを開く。差出人は《日吉若》とある。まだ何かあるのだろうか。
指先を動かし表示された内容に、私は思わず画面に向かって笑んでしまった。


《お前のことだから気にしてるだろうが、作戦を練ったのは鳳と西園寺だ。俺は実行役にすぎないし、二人からメールもらうより気が楽だろうと思って連絡も俺がした。余計なことは気にせずお前はお前のやるべきことをやれ》


まさかのお見通しってやつらしい。本当にいつものことながら、どっちが年上かわかんないや。
内心でこぼす私の声に重なるように、チャイム音が響いて昼休みは終わりを告げたのだった。




****




どうして気がつかなかったんだろう。そう思えるほどに、目の前の男性と跡部さんはそっくりだった。違うのは年齢と、あえて言うなら余裕の有無くらい。
あ、黒子はないけど。


「どうやら驚かせてしまったようだね」


にこりと微笑まれて、ようやく自分がジロジロと人様の顔を見つめていたことに気づいた。
誤魔化すようにわずかに目を伏せると、自分の前に置かれたティーカップが目に入った。薔薇の描かれたカップには、柄と同じく薔薇の香りを放つハーブティー。たゆたう湯気に乗った紅茶の優しい香りが、波打っていた私の心を落ち着かせてくれた。


「いえ、こちらこそ押し掛けてしまって」

「君は息子の可愛い婚約者さんだからね、気にする必要はないんだよ」


笑顔でさらりと言われたせいで、一瞬反応が遅れる。


「……あ。その、今日はそのことでお話がしたくて」

「もしかして迷惑だったかい?」

「え」

「すごく困った顔をしているからね」


跡部さんのお父さんは、くすりと笑いながら紅茶を傾けた。私は何と返すべきか迷い、迷った挙げ句、目の前の人を真似るように目の前に置かれた紅茶を呷った。今「困っている」と言えば、もしかしたらこの婚約は簡単に破棄出来てしまうのかもしれない。けれど、思い出すのは不二の言葉。
それに、私は変わると決めたのだ。向き合うと。
カップを戻すのと同時に「はい」と頷いて「でも」と言葉を継いだ。


「……困ると言うより、戸惑いの方が大きいです。知り合いが氷帝に居るので、跡部さ……景吾さんのこれまでのお見合い相手のこと、聞いちゃいました。少なくとも、聞いた限りでは跡部家にとって利益のある……なんて言い方じゃ失礼かもしれませんが、そういう家柄の方だったと」

「うん。それで?」

「なんで……なんで私なんですか?」


どれだけ言葉を並べてみても、結局私が訊きたかったことはそれに尽きるのだ。
何故、どうして、自分なのか。
跡部さんのお父さんは手に持っていたカップをソーサーに戻し、ふっと柔らかな笑みを私に向けた。


「君はあの時のことを覚えているかい?」


もったいぶった物言いに胸中で首を傾げながらも私は問いかけに無言で首肯し、”あの時”に思いを馳せた。



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