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「あの時の君が気に入ってね。聞いた名前と制服を頼りに君がどこの誰なのかを調べて、見合いの話を持ちかけたってわけさ。……けど、驚いたよ。運命を感じた」
私が「何が」と口を開く前に、跡部さんのお父さんは椅子から立ち上がり、私の隣へと腰を下ろした。
急に近づいた距離に息が詰まる。思わず半身を引くと、跡部さんのお父さんは苦笑を浮かべた。
「君はアイツにそっくりだ」
「あ……アイツ?」
「……君の父親だよ」
両親の記憶はおぼろげながら残っている。二人とも笑顔が優しい人だった。
でも、どうして跡部さんのお父さんが父を知っているのだろう。
「君の父親と私は、所謂親友というやつだったんだ。……と言っても、葬儀にも出られなかったけれどね。私がそれを知ったのはアイツが死んだ一年も後だった」
「連絡もとらないのに……その、親友なんですか?」
そんなに長い期間連絡も取らないのに親友と言うのが、少し不思議に思えた。躊躇いながらも言葉をぶつける。跡部さんのお父さんは、当然のように深く頷いて、私を……私越しにどこか遠くを見ているようだった。
「若い子には不思議かもしれないね。けど、離れていても繋がっている。そんな関係もあるんだよ」
懐かしさを湛えた穏やかな微笑みは、諭すような色を滲んでいて、私は自然と頷いていた。いつか私にも分かる日がくるのかもしれない。親友と呼べる存在すら傍に居ない私には、自身を持って言える跡部さんのお父さんが羨ましくも映った。
「でも、だったら何でおじいちゃんは……」
不意にポケットの中の携帯が振動して、思わず言葉を呑み込んでしまった。呑み込んでから、ふと思った。
これは言っても良いのだろうか?
お見合いの話を私にした時、おじいちゃんはこう言った。
――すまんの、どうにも断り難い相手でな、と。
目の前に居る人にこの言葉を言ってしまって良いものか判断がつかない。
「君のおじいさんがどうしたんだい?」
迷う背を押され、おずおずと言葉を紡ぐ。
「いえ、その……『すまんの、どうにも断り難い相手でな』って」
父のことを親友だと思っていたならば、この言葉は嬉しくないだろう。それどころか傷つくかもしれない。
悲しみの色が滲まないことを祈りながら、そっと目の前の端正な顔を覗き込む。
「なるほど。親父さんはまだ気にしてたのか」
が、形のよい唇から紡がれた言葉は、予想に反して得心したようなものだった。彼が何のことを言っているのか気になって仕方が無い。
でも訊いてしまっても良いものか。
子供が口出しすべきことじゃないのかもしれないと思うと、易々と尋ねる気にもなれずに、言葉の代わりに溜息がこぼれる。
「すまないね。こんな言い方をしたら、余計に気になってしまったかな?」
見透かすような言葉に素直に頷くと、跡部さんのお父さんは「そうかい」と言って視線を上げ、つっと視線をめぐらせた。私は彼の視線を追う。その終着点は、壁にかけられた一枚の写真だった。
数人で映った写真の中には父の姿もある。
「本当は、子供の君にする話ではないんだけどね」
視線は写真に向けたまま、跡部さんのお父さんは口を開いた。
「アイツが死んで一年が経ち、ようやく私がそれを知った時のことだよ。アイツに借金があったことを知った。保険金だけでは足りないことを知って、私が勝手に肩代わりしたんだ」
知らされた事実に驚愕する。それではまるで借金の形だ。いや、到底そんな価値があるとは言えないけど……。
内心で冷や汗をかいていると、隣から笑い声が聞こえた。
何で今!?
そう思って声の方へと顔を向ける。
「……間違わないで欲しいんだが、肩代わりさせてもらった分はとっくに返してもらってるよ。嫌なら断ってくれても構わない。それから、これだけは言っておくよ」
大きな手が目の前に迫り、ポンと頭に乗せられた。
私は継がれる言葉を、安堵と不安、相反する気持ちを感じながら待った。
「君を選んだのは君がアイツの娘だからじゃない。君自身が魅力的だったからだ」
気障とも取れる言葉を恥ずかし気もなく言われ、私の方が照れてしまう。熱くなった頬を隠すべく、視線を落とすと同時に扉が叩かれる音が響いた。跡部さんのお父さんが立ち上がる。
「丁度いいタイミングだな」
元の椅子へと座りなおした跡部さんのお父さんは、嬉しそうに微笑んで紅茶の残ったカップを持ち上げた。
「……景吾です」
扉の向こう側から聞こえた声に心臓が跳ねる。
どう見ても逃げ場などない。
「入りなさい」
無情にも狼狽する私を横目に、目の前で紡がれた声に合わせて扉は――開いた。