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婚約者からお願いします?

第30話 帝王様のデート考察

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デート、という行為に関して、経験が「ある」か「ない」かと問われれば、俺は迷わず「ある」と答える。が、主導権を譲ったことが「ある」か「ない」かと問われたならば、こちらは迷わず「ない」と答えるだろう。
幼少期を過ごした国柄のせいか、俺自身の性格のせいかは判然としねぇが、主導権を譲るのが性に合わないというのがその最たる理由だってことに違いはない。何より、相手も俺がエスコートすることを当たり前だと思っている節があったからだ。今までは。
そう、「今までは」という言葉が示す通り、今回は最初からそれが当てはまらなかった。
車での迎えを拒まれ、待ち合わせ場所には先んじられ、初っ端から俺のペースが崩されっぱなしなのは気に入らねぇが、不思議と嫌な印象は受けなかった。
行き先も告げられないままに連れてこられたのはスケートリンク。
子供料金とはいえ、靴のレンタル代込で千円以下らしい。ここの経営は大丈夫なのか? と、安すぎる料金にスケート場の経営状態が異様に気になったことはこの際置いておくとして、それ以上に驚いたのはが何も言わずに自分の料金を払ったことにある。
跡部という家は自分で言うのもアレだが、それなりの家だ。周囲もそれを知っているのが常であり、当然のように金銭の負担を強いる者も少なくはない。ことデートという名称がつくと、それは顕著になる。昔からデート代は男が持つものだと言われている影響もあるんだろうがな。
だが、忘れてはならないのは、跡部の家の資産は俺自身が稼いだものではないということだ。今好き勝手に使っている分も、高等部に上がって株を運用して親に返すつもりだし、その勉強もしている。
つまり何が言いたいのかといえば、現状として親にただ養われているという状況に関しては、俺も相手も対等なはずだということ。けれど、それをきちんと理解している者は圧倒的少数なのだ。
正直がそこまで考えて動いているとは勿論思わねぇ。が、当然のように自分の分を支払う姿は、俺を「跡部」というフィルターを介すことなく見ているようで、悪くない気分だった。
滑走料の支払いを終え、靴を履き替えてリンクへと足を進める。先頭を切って歩くは、体幹はできているだろうに妙にヨタヨタしている。この分では氷上ではさぞ悲惨なことになるだろう。
それにしても――。


「人が多いな」


休日だからなのか、リンクには沢山のグループが居た。家族連れに、友人と思しき集団に、カップルまで。小さな子供特有の甲高い笑い声が、時折大きく響いては消えていく。
貸し切りにした方が心置きなく滑れたんじゃねぇか? 不意に過ぎった考えを読み取ったが如く、俺の落とした言葉を拾い上げたが小さく肩を竦めてみせた。


「貸し切りにすれば良かったのに――なんて無粋なことは言わないでね? 初デートな上、スケート初心者二人でこんな広いリンクなんて、悪いけど間が保つ自信ないからさ」

「………………言わねぇよ」


少なくとも言葉に出すつもりはなかった。
いや、それよりも気になる一言があったように思うのは気のせいか?


「初心者二人?」


確かめるように口に出すと、は視線を彷徨わせてヘラリと笑った。


「あはは、実は私もスケート初めてなんだ。エスコートするとか言っておいてアレだけど、教わるとか教えるとかより、まっさらなことを二人ですることの方が、今の私たちには丁度いいのかな〜なんて。だから転んでも大丈夫だよ? きっと私も転ぶし」


なるほど、さっきのヨタヨタした歩き方はそのせいか。
納得すると同時にの言葉に自然と口の端が上がるのを感じた。
まっさらなこと、か。悪くねぇな。
そう胸中で独り言ちていると、目の前に手が差し出された。エスコートでもするかのように、仰向けにされた手のひらに、軽い頭痛を覚えた俺に罪はねぇだろ?


「結局エスコート役やるつもりかよ、アーン?」


皮肉って笑うと、は暫し何かを考える仕草をした後、どんな結論を出したのか知らねぇが、何かを企んだような笑みを浮かべてみせた。
ゾクリ、背中を駆ける悪寒。嫌な予感がする。
頭の中で警鐘が鳴った瞬間、の唇が動き出した。


「お手をどうぞ、お姫様」

「どうやら俺様の姫は冗談が好きらしい」


そうきやがったか、と思いながらも、言葉は勝手に違う言葉を紡いでいく。やられっぱなしは性に合わねぇからな。
の手のひらに己の手を重ね、即座に引っ繰り返す。それだけで役割は逆転したも同然だ。微かに目を細めて笑むと、はポカンとした表情で固まっていた。今のうちに動いた方が賢明だな。
俺はの手を引き歩き出す。
途中、我に返ったらしいの間の抜けた声が聞こえた気がしたが、気のせいだということにして無視を決め込むことにした。


****


リンクに出てからのは、想像通り惨憺たる有様だった。
一緒に、と掛け声に合わせて足を踏み入れた瞬間に転び、引き起こそうとしたら俺を巻き添えにして転び、もう一度引き上げた際にも転びそうになってやがった。
咄嗟に抱き込むようにして支えたが、動揺する様子も見せず何を言うかと思えば「壁伝いから始めません?」ときた。
あまりにも間の抜けた台詞に、何を思う間もなく笑みがもれる。


「ほら、行くんだろ?」


へっぴり腰で俺にしがみついてるを促し、壁際まで向かう。氷の上にブレード一本で立つという感覚には未だ慣れないものの、真っ直ぐ進むくらいなら問題はない。普段から体幹を鍛えているのだから当然だ。
むしろ、同じく普段から体幹を鍛えているはずののこの惨状の方が問題だろう。とは思うが、必死の形相で壁にしがみついている姿を見れば、流石に口にするのは憚られた。


「うぅ……十三回目って」


自分の転んだ回数を数え、さすがに堪えたらしい。は最初の勢いはどこに、と言うくらいしょんぼりと肩を落としていた。
慰めるべきだろうかとも思ったが、口をついて出た言葉はまるで真逆だった。


「たかだか十三回だろうが」


何度か同じ場所を打ってはいたようだが、まだ歩けなくなるほどではないだろう、と。我ながらデート中の相手にかける言葉じゃねぇな。
己の口から飛び出した言葉に自嘲したが、は違った。


「たかだか……そっか、たかだか、だよね?」


伏せていた顔はしゃんと前を向き、力を失っていた瞳には輝きが戻り、落ちていた肩はやる気故か勇がちに上がっている。
もともと負けん気は強いのだろう。


「ねぇ景吾」

「アーン?」

「コツがあったらさ、教えて欲しいんだけど」


わずかに泳ぐ目と、ほんの少し紅潮した頬が、言外に「恥を忍んで」と伝えてくる。私と貴方は出来が違うもの、だの、跡部くんは出来て当然よね、だのと言われるよりかは遥かにマシな反応だと思った。


「ビビりすぎて腰が引けてんだよ」


腰が入っていないからバランスを崩すのだ。
スーっとの背後に回り、腰をトンと押してやる。


「ふわっ!?」


あ、思った時には時既に遅く、は本日十四回目の氷上ダイブ。それも今回はベシャリと前方に倒れ込んでいる。ズルっと膝を曲げて上半身を起こしたは、ジトリとした目で俺を振り返った。どうやらやり方が性急過ぎたらしい。


「…………悪かった」


立つのを手伝おうと手を差し伸べると、俺の手を取ったが起き上がりしなに唸るような声で「ココア」と呟いた。
意味が分からずに首を捻ると、は膨れっ面でリンクの外を指差してみせた。その指の示す先を目線で追えば、リンク外に設置してある自動販売機へとたどり着く。
つまりココアで今のは水に流す。と、そういうことだろう。


「仕方ねぇな」

「じゃ、景吾の気が変わらないうちに早く行こう!」


了承の意を表せば、膨れっ面はどこへやら。はウキウキとした様子で俺の袖を引っ張った。出入り口に向かいながらも何度か転んでいたが、それでも「目指せココア」と呟きながらヨタヨタと進む姿は、同い年の女に言うべきではないだろうが微笑ましくすらある。


「景吾はお汁粉にしなよ。それかおでん缶」


自販機の前に来るなり、はそう言って笑った。意味がわからねぇ。


「アーン?」

「きっと似合わないだろうから、写メ撮って若と西園寺さんに送ってあげようかと思って」


きっといいお土産になるとはしゃぐを横目に、ココアを一つ購入。


「俺様に似合わねぇものなんざねーんだよ」


「ほらよ」と取り出し口から取り出したココアを渡せば、「ありがとう」と笑ってはココアの缶を両の手で包み込んだ。どうやらココアで暖をとっているらしい。


「似合うなら何の問題ないってことで。ね? あ、私的にはお汁粉がオススメ」


飲みたいか否かの問題があるとは思うが、まぁいい。促されるままにお汁粉を買い、プルタブを開ける。そのまま、期待に満ちた目で携帯を構えるを無視して缶に口をつけたのだが、口内に広がるあまりの甘さに眉根が寄った。


「……甘ぇ」


多少どころの話じゃねぇ。
残りを飲みきれるか思案していると、カメラのシャッター音らしき音が響いた。


「いただきました。あ、それと」


途切れた声に続けて、硬貨の落ちる音がした。が自販機に硬貨を投入した音だ。


「お詫びにどれでもお好きなものを選んでくださいな」


そう言って、俺の手からお汁粉を奪うと、自販機の前からひょいと体をどける。悪びれない様子に、そつのないフォロー。悪戯が成功して喜ぶ子供のような雰囲気に、汁粉のような甘さは欠片もない。
だが、今はそれでいいんだろう。
気安い雰囲気に居心地の良さを感じて、俺は無糖のコーヒーを喉奥に流し込みながら、微かに口内に残る甘さに目を瞑ることにした。



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