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赤也に続き帰省したリョーマを見送り、その翌日、私と若は共に家を出た。
「空港まで送って行かなくて本当に平気か?」
最寄り駅まで一緒に向かっている最中、若が気遣わしげに聞いてきた。
「若……一応確認しとくけど、私の方が年上だって忘れてない?」
問いかけに対して素直に返さず、問いで返した。だって中学二年生に心配される高校一年生って、それは何だか情けない気がするんだもの。
「……そうだな」
若もまた、私の問いかけに答えるでもなく、ただ納得した様子で頷いてみせた。まかり間違って“付いて行く”なんて結論を出されなかったことにホッとする。あくまで私がイタリアへ行くのは“フリ”。だから本当に空港に向かうつもりもないのだ。
第一、交通費が勿体ない。
ICカードは既にチャージ済み。切符を買うことなく改札を抜け、若とは反対のホームへと向かう。
「じゃあまた年明けに」
「あぁ。気をつけてな」
あっさりとした別れの言葉。ほんの少しの寂しさを覚えたけど、また一週間もしないうちに会えるんだしと自分に言い聞かせて、私はホームに滑り込んできた電車に乗り込んだ。
****
十二月三十一日。
年の終わりを感じながら、私が向かったのは近所のスーパーだった。目的は年越し蕎麦。と言っても本当に蕎麦を茹でるのは面倒なので、カップ麺の蕎麦だけど。
「……寒かった」
スーパーの入り口をくぐると白かった息が透明に戻り、全身に熱が戻る。やはり日が暮れると寒さが段違いだ。
帰りの寒さを思い少し憂鬱になりながら、入り口に置いてある買い物かごを一つ手に取って店内を回る。 数の子、黒豆、練り物……。お節を一人分だけ用意するというのは微妙だなと思って、材料を手に取っては戻すの繰り返し。
「う〜ん」
結局どうするか結論を後回しにし、一先ず蕎麦を選びにカップ麺売り場へと向かうことにした。棚の端から順繰りに見ていく。
やはりここはせっかくだから新発売のやつを試してみようか。新発売と銘打たれた見慣れないパッケージに手を伸ばす。
「え?」
「ん?」
私が伸ばした手は商品を掴むことなく、生温かい感触を握っていた。すなわち、人の手だ。
慌てて手を離して顔を上げる。視界に飛び込んできたのは、店内の蛍光灯に照らされ光る銀色。
「あなたは確か、赤也の……」
「おまんは赤也と一緒に暮らしとる……」
互いに名前は知らないらしい。認識はたぶん似たり寄ったりじゃないかと思う。
端的に言えば“赤也関係の人”
「あ、お先にどうぞ」
「……おお、すまんな」
気まずい。
銀髪さんがカップ麺を手に取ったのを確認して、自分の分を確保する。
ん〜と、こだわり出汁?
あ、わかめ入ってる。
パッケージと成分表示に軽く目を通し、これでいいやと籠に放る。
「のう」
どうやら私が商品を籠に入れるまで邪魔をしないように待っていたようだ。
銀髪さんは籠を持たず、さっき手に取ったカップ麺だけを持っていた。
「はい?」
「赤也の話じゃと、お前さんはイタリアに行った言うとったが?」
赤也よ、自分のことはともかくとして、何故私のことまで話してるんだろうか。誰も興味ないと思うんだけどな。あ〜、なんか赤也の話題選択が大丈夫なのか心配になってくるよ。変な話題ばかり振ったり、誰も興味持たない話題ばかり振ってたら友達いなくなったりしないかな?
ん? 待ってよ……ということは、きっと目の前の銀髪さんはとても良い子ってことか。外見不良っぽいけど。興味なんて微塵もないはずなのにきちんと赤也の話を聞いてくれてたってことだもんね〜。
「なんだかすみません。赤也にはちゃんと言っておきますから」
「は?」
怪訝に歪められた銀髪さんの表情で我に返る。
しまった。
どうも気持ちが先走ってしまったらしい。これでは会話が噛み合っていないし、ちょっとした痛い奴だよね。
「ごめんなさい。え〜っとですね、今のは《興味が限りなくゼロだっただろうに、私の話なんかを聞いてくれてありがとう。でも、やっぱり気の毒だから赤也に話題選択は大事だよって言っておきますね》……って意味です。イタリア行きに関しては、私が一人で残るなんて言ったら気を遣わせちゃうかなっていう嘘なので、くれぐれも他言無用でお願いします」
驚きの長台だ。
あまりにスルスルと淀みなく出てきた言葉たちに、銀髪さんも気のせいじゃなければキョトンとしている。かと思えば見る間に唇が弓形になった。
「……ククッ、ほうか。赤也から聞いてどんな奴かと思うとったが、お前さん中々面白いのう」
笑みを浮かべたことで口元の黒子が目立ち、銀髪さんの雰囲気は一気に妖艶めいたものに映った。少なくとも私には。
「赤也がどう話してたか気になりますけど、聞かないでおきます。それに、私もちょっぴり意外で面白いと思いました」
「何がじゃ?」
「見た目で不良さんかな? と思ったのに、後輩の与太話に耳を傾けてくれてるところとか。あとその尻尾、可愛いですね」
「尻尾じゃなか」
吊り上がっていた銀髪さん口角が、微かに引き攣るのがわかった。
やはり男の子に「可愛い」は禁句なのだろうか。
むしろ誉め言葉だったんだけどな。だって、格好いい男の子の中に潜む可愛いを見つけると、嬉しくならない?
「俺はそこじゃなくて「尻尾」を否定したんじゃが」
「言われてみればそうですね。って、私口に出してましたか?」
「……気づいとらんかったんか。だから敬語が急になくなったんじゃな」
はぁ、と深々と溜息をつかれると何だか居たたまれない。もう目的の物は手にしたのだし、そろそろこの場を離れよう。そうしよう。
「すみません。えっと、それでは」
「待ちんしゃい」
くるりと踵を返した腕を捕られ、ガクンと後ろに引き戻される。
「あの?」
「年越し、一人でするんか?」
質問の意図がわからない。
「……そうですけど?」
「理由は?」
「え?」
「あいつらに言わんかった理由」
「さっき言いませんでしたか? 気を遣わせないようにって」
「具体的に」
それを銀髪さんに言う必要があるのだろうか。
喉元から出掛かった言葉は、思いの外真剣な表情で私を見つめてくる銀髪さんの視線を捉えて、ぐっと喉奥に押し込めた。
別に隠すほどの理由はない、か。
短時間で感情に折り合いをつけ、私は思っていることを素直に口にすることを選んだ。
「家族水入らずを邪魔しないように……と。うちは父方でも母方でも親戚が集まる習慣がないんです。それでもみんな優しいから、一人だって知ったらきっと誘ってくれると思います。でも……いつも一緒に過ごしてる彼らはともかく、普段一緒に居ない人間が混ざったら、他の従兄弟はくつろげないでしょう? そもそも私のためにって家族を一人ずつ貸して頂いてるんだし、これ以上みんなの家族団欒を邪魔するなんて出来ないですよ」
寂しさはあるけれど、それも耐えられないほどではない。心配なのは既に暮れかけている今日の帰り道と、泥棒に入られやしないかということくらい。あとは年越しの時に点けておくテレビを「ゆく年くる年」にするか「カウントダウンライブ」にするか「お笑い」にするかの選択くらいだ。
そのまま伝えると、銀髪さんはようやく私の手を離してくれた。
「お前さん、料理は得意か?」
銀髪さんの尻尾が小さく揺れる。
また変化球な質問が来たなと、その意図を探ろうとする。が、正直全く検討がつかない。
「……得意かどうかは知りませんが、食べられないものは作らない主義です。材料が無駄になりますし」
「十分じゃ。なら俺と一緒に年越しせんか?」
「いやいやいや、友達誘ってるみたいに言われても……私、あなたとは初対面ですよ? 名前すら知りませんし。だいたい、あなたは家族と年越ししなくていいんですか?」
「仁王雅治じゃ」
「名乗ればいいという問題では」
「よう見てみんしゃい。俺が持っとる蕎麦の数」
「……一つ」
なるほど。もし推測が間違っていないなら、彼も一人で年越しする予定ということなのだろう。
独り身同士か。
心がかすかに揺れる。
「別に女に不自由はしとらんき、お前さんに手ぇ出さんよ」
「それは最初から心配してないです」
何せ相手は銀髪すら似合う美形男子。片や私は自分で言うのも悲しいが、おおよそ十人並みの顔立ち。スタイルもそこそこだ。私が彼でも、私をどうこうしようなんて思いやしないだろう。
「……いや、少しは警戒しんしゃい」
「じゃあお断りということで」
満面の笑みで切り返す。それですべてが終わりだと思っていた。しかし現実には銀髪さんの方が一枚上手だったらしい。
「赤也にバラしてもええんじゃけどな」
獲物を追いつめた獣のような雰囲気を漂わせ、銀髪さんは綺麗に笑ってみせた。反比例して私の顔からは笑顔が剥がれ落ちていく。
「……どうするダニ?」
あくまで私に選ばせる気らしい。
話してみたところ悪い人間ではない……と思う。仮にも赤也の先輩だし、悪いようにはされないだろう。
さっきの警戒しろ発言からもそれは間違いない。
それに……去年まで賑やかだった家で、突然一人で年越しはやはり寂しいわけで――。
「――……」
私は暖かな誘惑に負けてしまったのである。